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中島優さん
早稲田大学第一文学部3年
ASCプロジェクト http://asc.main.jp/ など幅広い執筆活動を展開。
2004年4月下旬からキューバに留学。

 
 


 

未知の国、キューバ


私にとってキューバは未知の国そのものだった。
ただ浦和レッズのサポーターを5年近く続けてきて、「チェ・ゲバラ」の存在だけは知っていた。
浦和のサポーター達は、国のために命を賭けるというゲバラの生きかたに大層感銘を受けており、サポーターチームのTシャツにも応援の旗にも、ゲバラの絵や写真を多用していた。
私も例に漏れず、ゲバラを単純にカッコイイ男だと思っていた。
そしてどこでどう踏ん切りがついたのかわからないが、とうとう2003年夏にキューバへ飛んでしまう。
しかし初のキューバ行きは、出発までがさんざんだった。
ガイドブックは出ていない。取り扱っている旅行会社も少ない。情報が、ない。
キューバ危機、社会主義国家、カリブ海?カストロ?まさに未知の国だった。
幸い、樋口聡というキューバフリークのトラベルライターの本を偶然にもBookOffで見つけ、わずかではあるが情報を得ることができた。
それによればキューバは「プロバイダがなく(ネットが使えない)」「郵便は届か
ず」「電話には誰も出ない」「3時間4時間の遅刻はあたりまえ」
そしてキューバへ。
一言で言うと、私が想像していたようなゲバラの国ではなかった。
キューバは、キューバだった。
まず、物乞いがいない。ホームレスがいない。そんな国は初めてだった。
もちろんタカリやボッタクリはいる。しかし「NO」と言えばヘラヘラ笑って帰る。
「ワルになりきれていない」向こうのbadboys達にはそんな印象を抱いた。
夜中の1時だろうがなんだろうが、眠れない大音量で音楽が流れている。
時差ボケで眠れなかったのも手伝って、その音源に歩いていくと1キロほども
先で、野外ライブを(勝手に)やっていたりする。
家具はボロくても、オーディオ機器だけはぴっかぴかの最先端。
なんでも、そのへんを規制すると暴動が起きるんだとか。
数年前に日本ドラマ「おしん」がキューバ国内で大ブレイクし、放映中に停電(キューバでは水が出ないのと電気が止まるのは日常茶飯事)が起きた時もすごい暴動が起きたらしい。
そしてキューバ人は、よく喋る。
スペイン語は話せません、といってるのに、「あっそうなんだ」と言いつつ、
1分間にいったい何単語喋っているんだと言いたくなるくらいひっきりなしに
話しかけてくる。
しかも女ひとりで歩いていると、必ず口説いてくる。
おばあちゃんだろうが3歳の子供だろうが見境なく、「かわいい」「キューバ1だ」などなど。
ホントかどうか知らないが、キューバは世界で唯一、巨乳を嫌う文化らしい。
どうでもいいけどキューバ人は露出が高い。美女が多い。
だいたい、スーパーのレジに座ってるお姉さんやおばちゃんは足を組んでいて、
それでなくても超短い制服から全員パンチラ状態である。
といっても私は女なのでうわっと思うだけなんだけれども。
キューバは恋愛国家と言われている。1分で恋愛が成立する国らしい。
もちろん人々の気質はいたってお気楽だが(飛行機が3時間遅れても何の
アナウンスもない)、良い面ばっかりではない。
観光客を泊めたら1日20ドルなのに、高校教師の「月収」は5ドルなのだ。
もし、「もうめんどくせー」と思ってタカリ屋に1ドルなんてあげてしまったら…。
それが災いすることも、幸いすることもある。
私がキューバの市街、ハバナに入ったとき、飛行機の遅れにより深夜1時をまわっていた。タクシーでつけてもらった民宿は、一軒につき2部屋までしか客に提供してはいけないという規制があり、もういっぱい。
しかしそこで放り出されてももうこの時間、野宿しか手はない。
おばちゃんは結局私を余ってる部屋に泊めてくれ、次の日警察の見回りに
備えて私のスーツケースをベッドの下にぎゅうぎゅう押し込んで隠していた。
キューバ人は、基本的に日本が好き、人が好きである。
しかし私はすれ違うキューバ人に毎回「チーナ(中国人)!」と言われ、日本人
だと言うと「ワー!ジャッキーチェン!」「ブルース・リー!」などと叫ばれ、
どれも違うっつの(怒)と思っていたが彼らの勢いに負けて言い返せなかった。
それから、キューバはサルサ(4/3ステップで男女組んで踊る、ソシアルダンスをノリノリにしたようなもの)が世界一である。
キューバ国立民族舞踊団というものがあり、そこのバレエをはじめとする各種の舞踊もレベルが高く、日本でも実は公演とかがたくさん行われている。
私もジャズとサルサの端くれだったのだが、帰国してからNARCISO MEDINA舞踊団の主宰の踊りを見て言い表せないほどの感銘を受けた。
この際大学なんてどうでもよくなり…ではなく、語学とダンスを勉強しにキューバ
へ行こうと思いを固めた。
早稲田大学には災難なことに、留学する際に「留学」扱いになるか「休学」扱いになるかで天と地ほどの差がある。
留学扱いになれば早稲田の学費は払わなくて良いし、単位も互換される。
もちろん4年での卒業も可能。
しかしそれには「学部長との面接」とかいうのが必要である。
久しく着ていなかったスーツに、必要書類には分量の倍の論文を書いて、
準備万端。もちろん面接時間の30分前には到着。
しかも極めつけは、私は今年は16単位だったが面接を受けたときの1年生次の取得単位数は42でフル単だし、ほとんど優である。
喋ることを頭の中で整え、いざ出陣。
「えーと君は、文芸専修ね。ふんふん。じゃ4年で卒業もできるのか。はい、わかりました。じゃ、気をつけて行って来てね」
「は?」と思わずこっちが突っ込みそうになった。終わりかよ!
これもフル単ブランドのなせる技なのか。いや、違うでしょ。適当なだけでしょ。
こうして私の気合満タンな面接は5秒でスルーされ、無事1年の留学扱いに。
トラベル・ボデギータというキューバ専門の旅行代理店をネットで紹介してもらい、
NARCISO MEDINA舞踊団への入団手続きも完了。
午前中は大学で語学と文化(音楽、舞踊、建築、彫刻など)の勉強をし、
午後はいっぱいいっぱいダンス…という生活になりそうである。
ちなみに1年間の留学費用の150万円は6ヶ月で貯めました。
いや、ハタチになってまで好きなことするのに親の脛はかじれないかなって思って。
怪しい仕事をしなくても、死ぬ気で働けば、どうにかなるものらしい。
私は5つバイトをしてたけど、どれも自分がやりたい職しかやってなかったから、
キューバ行きをきっかけに辞めなきゃいけないのが悲しいくらい好きな仕事だった。
今は昼夜、身体をやわらかくすることくらいしかしていない。
スペイン語の勉強も皆無である。
よくよく考えれば「英語」で「スペイン語」を習うんだから無謀である。
なんていったって私はアメリカで「WATER」が通じなかった日本人だから。
先は果てなく長そうだが、まだあまり危機感はない。
荷造りして、パスポートを10年用に移行して。
そんなことよりサークルやってます。雑誌ができたので、運搬配布で重労働。
紙媒体への執着はまだあるので、キューバから帰ってきたら何かしら、本か雑誌を作ろうという気ではいる。
そのためのネタ作りも考えつつ、とりあえずキューバの風にもういちどあたることが、今はもっぱらの楽しみ。
確かにキューバの良くない点っていうのもたくさんある。
けれどそれを「だめ」と言う前に、「なんでそれが起きるのか」を考えるとき、
新たな世界が見えてくると思っている。
なんでなんでを連発する柔らかさを、持っていたいと思う。

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2004.4.4