合格体験記 vol.26 |
2009年3月 東京都私立J高等学校卒業 ■高校時代の部活・期間 ■高1――中だるみからの脱却 中高一貫の都内某女子校に通っていた私。私にとって高1の1年間とは、このような学校にありがちな、いわゆる中だるみの時期だった。授業に出てはいるがイマイチ勉強に対するモチベーションが上がらず1番前の席で寝ていたこともあった。試験前になると焦って勉強し始めそこそこの成績は出たけど、順位の出ない学校だったため張り合いも無く、悪い意味でマイペースを保っていた。周りの子たちは徐々に予備校に通い始めていたけど、進学校にいるという状況に甘え「まあ、普通にしてりゃ大学には行けるっしょ」と楽観的な気持ちでいた。 冬のある日、予備校の講習に行って様子見するなんてこともせずまともな勉強をしていなかった私を見かねた母がついにブチギレて、しまいには私の人格や自分の高校までも否定されお互い泣き出してしまうはめに。その時に私は自分の情けなさにようやく気づき、「あと2年後には絶対に第一志望の大学に受かってみせる」と泣きながら決意表明をした。 そんなことがあった高1の冬、私は現役生に特化した予備校に入塾。志望大学は早稲田。他大法学部出身の父の影響もあってか法律の知識を生かして社会で活躍したいと思い、学部は法学部を目指す。 ■高2――基礎固めの時期、そして早稲田への確固たる想い 進学校なのに高2でも未だカリキュラムが細かく分かれることがなく、数学以外の授業はすべて理系の子と一緒に受けた。文系なのに数学は週6時間、当時はセンターでも早稲田を受けることを考えていたものの、私立文系志望で数学が苦手な私にとっては苦痛な時間でしかなかった。おまけに理科も生物、物理、地学とがっつりやらされうんざり。その一方で世界史はマニアックすぎてやたらイスラームに詳しくなった。 予備校には週3日通った。ハイレベルクラスの英文法と英文解釈、それに英単語の記憶に特化した授業の計3つ。ただでさえ学校の授業がきつかったので、まずは英語で土台を作ろうと思い予備校では英語しか取らなかった。 そして高2の夏、オープンキャンパスで初めて早稲田を訪れる。 真夏の太陽の日差しが激しく照りつけるなか、私は高校の友人とともに開始時間の10時きっかりに大学に着いた。すると、大隈銅像の周りをたくさんの学生が囲み、肩を組んでなにやら歌っていた。 「……わせだーわせだー、はーしゃはーしゃわ・せ・だ!」 とにかくこのフレーズが印象的だった。これは早稲田の応援歌「紺碧の空」の一部分である。その時はこれが応援歌なのかもよく分からなかったけど、学生たちが輪になって楽しそうにしているその一体感を全身に受け止め、私は圧倒されつつも「早稲田になんとなく行きたいと思ってはいたけど……これだ、こういう雰囲気を求めていたんだ!」と、胸が躍り上がった。 「私の居場所はここしかない」と確信した。 ■(春)――あいつらには、負けない 高3になってやっとカリキュラムが細かくなり、ついに理系科目からおさらばすることができた。しかし東大志望も周りに多かったせいか、世界史選択の人は週3時間の世界史の授業を受けるのに加え、あとの3時間は地理の授業を受けなければならないというカリキュラムが組み込まれていた。確かに地理は世界史にもつながる部分があるとは思うが、私立文系志望の私はいつもその時間を睡眠か内職に充てていることが多かった。 ミッション系の高校だったので毎朝8時15分から礼拝に出席せねばならず朝は6時起き、月曜から金曜まで毎日学校が6限まであり、酷いときにはそのあと予備校で5時間くらい授業があったりして帰宅後も1時くらいまで勉強していたため、体力は限界ぎりぎりのところで何とか保っていた。 5月までは私立型のくせにセンター利用で早稲田も受けようという無謀なことも考えていたので、生物や政経、数T・Aもちょいちょい勉強していた。ただでさえ世界史の知識がないのに他の科目も欲張って薄っぺらい勉強をしていたため苦痛になり、6月からは3教科に絞って勉強することにした。高校柄、周りには国立志望しかも東大や一橋といった最難関の大学を目指す子が多く、私立型で3教科しか勉強をしていない自分は妥協しているんじゃないか、という考えがふと頭の中を横切り、周りの子に申し訳なく感じてしまう自分もいた。けれども、私は早稲田が好きでどうしても早稲田に入りたかったので、そんな考えは頭の隅っこに置いておこう、と思ったのだった。 予備校には週5日通った。高2のときにやってこなかった現代文、古文・漢文、世界史に加え、選抜テストを要する最難関クラスの英文読解、英文法、そして相変わらず英単語の記憶に特化した授業もとっていた。予備校内のテストがある度に「どうせやるからには3教科全部校舎トップの順位をとってやろう」と燃えていたから、実際にそれを達成できたときにはものすごい快感だったし、もっともっと上を目指そうと躍起になっていた。他の人には負けたくない、という気持ちが原動力となり成績も順調に伸びていった。 予備校内には食事のできるスペースがあったのだが、いつもそこに長時間だべっている集団がいて、私はその集団を見るたびにイライラし勝手に毛嫌いしていた。 「いつもだべっているあいつらになんか負けるもんか。絶対あいつらよりいい大学に受かってギャフンと言わしてやる」 そんなあてのない気持ちを密かに抱きつつ、予備校の自習室で黙々と勉強に励んだ。 ■高3(夏)――達成できなかった、500時間 夏期講習に入り、毎日朝から夜まで予備校に入り浸るようになる。校舎間の移動があることもあって面倒だったし、授業数もたくさんあったため、帰宅後に予習復習しても間に合わない。朝のラッシュの時間帯に、沢山の参考書を持ちながらバスと電車を使って家から予備校まで通うのは鬱なものだった。 この頃になると基礎固めがほぼ完成してきた。けれどもまだ危機感というものがなくてとりあえず勉強をこなしてはいたけれども、なんだかイマイチ自信にはつながらない感じだった。また、ちょうど開催されていた北京五輪の誘惑に負けて、予備校が閉まるお盆休みには家で勉強しつつもちょいちょい見てしまった……。予備校で「高3生の目標勉強時間:500時間」と設定されてはいたものの、結局私は460時間くらいにとどまっていた気がする。 この年も早稲田のオープンキャンパスへと足を運んだ。その時にケータイで撮った、清々しい青空の下で大隈銅像と大隈講堂が向き合わせになった写真を待ち受けにして日々モチベーションを高めていた。 ■高3(秋)――初めてのスランプ 夏までに基礎固めはほぼ完成したので、9月に入ってからは、法学部の試験で必要となる現代文や世界史の論述や自由英作文の対策を本格的に始めた。とはいえ世界史はまだまだ通史が完成しておらず、既習の範囲は徐々に論述の問題をやったりと演習を重ねつつ、引き続き知識を叩き込みまくっていた。 9月に入ってから、1日の中でどんな勉強をしたかを記録することを始めた。本当はto do リストを作り1日のスケジュールを立てたものに沿って勉強することが理想的だとは思ったけれども、三日坊主の私がそんなことをすれば計画倒れに終わることは目に見えていたので、やったことをリストアップするだけでも何かが変わってくるのではないかと思ったのだった。次第に日記みたいな感じになってきて、そのとき抱いていた感情をぶちまけてみたり、模試の結果なども書いていった。これを続けたことにより、だんだんと勉強のリズム、生活のリズムが調ってきた。 11月に予備校内でセンター模試があったのだが、ここで初めてといっていいほどのスランプを経験する。英語の長文が読めない。センター形式の問題にもかかわらず、得意の英語でなかなか点が取れない。いつもなら8.5割は得点できるのに、この時は7割いくかいかないかの点数しか取れない。得意科目なんだしましてやセンターのような比較的易しい問題だったら解けるのはあたりまえだ、というプレッシャーに押しつぶされて、長文が読めなくなっていた。変に身構えず、出来る問題から確実にとっていこう、もう一度易しい文章を読んで再び長文に慣れていこう、と思い直してスランプからの脱出をはかったのだった。 ■高3(冬)――たとえ、先生がいなくとも 12月に入り、学校では希望者が特別授業を受けるのみとなった。予備校の自習室が昼にならないと開かなかったので、朝は学校の教室で勉強し、昼は週2回センターリスニングの演習を先生がやってくれたのでそれを受けに行ったり、それ以外の日は友人と昼食をとりながらおしゃべりをして息抜きをして、それから予備校の自習室へと向かう生活を繰り返していた。 この時期はセンターの過去問を重点的に解きつつ、私大の過去問もちょいちょい解いていた。センターの形式に徐々に慣れてきてはいるが、どうしても現代文、特に物語文だけはいつも苦手だった。センターみたいなシンプルな問題って逆に難しいなあと思いつつ、センター本番前になっても結局現代文の点数は伸びないまま。不安を残して本番へと挑むこととなった。 年末、冬期講習も中盤になり、いつものように古文の授業が始まるのを待っていた。 しかし、なかなか先生が来ない。 そうこうしているうちにスタッフがやってきて、「△△先生は体調を崩したため、午前中で帰宅なさいました」と言った。先生大丈夫かな、と思いながら次の日を迎えようとしたとき、衝撃のニュースが飛び込んできた。 「△△先生が解雇された」 自分の耳を疑った。信じたくなかった。体調を崩したなんて、真っ赤な嘘だった。 これを知らせてくれた友達は(本当はいけないけれども)先生と連絡をとっていて、直接先生から解雇の事実を告げられたらしい。 その先生は5月にも1度解雇寸前までいったこともあったけど、ひとりひとりに対して丁寧に相談に乗ってくれて、めったに褒めたりはしないが私が自信を無くしかけていたときには「すみれにはポテンシャルがあるから絶対大丈夫」と声をかけてくれたこともあった。みんなその先生のことを信頼していたから、代行の先生が来ていたけど全員で授業をボイコットした。 ここまで来たら古文は自分の力だけで勉強しよう、今さら違う先生の違うやり方を教わっても意味がない、と思ってその後受講する予定だった古文の授業をすべて中止した。 ■センター試験 英語 165点 リスニング38点 国語 160点 世界史90点 最初の世界史では順調だったものの、苦手としていた国語の現代文でハマってしまいずるずると暗い気持ちを引きずった結果、得意の英語でも初っ端から躓き、そして説明の英文と合致する橋の絵を選ばせる問題で思考停止。過去問演習で今まで40点を切ることがなかったリスニングではもはや気力が残っておらず。ひとりで採点するのが怖くて、次の日に予備校のスタッフと一緒に採点をしたのだが、センターでMARCHを取るのは厳しいという状況を目の当たりにした。しかし「センターで早稲田に受かる訳じゃないし、初めての失敗がセンターで良かった」と次第に思えるようになったため、一般入試対策への切り替えはわりとスムーズにいったと思う。 ■直前期――暗雲再び。入る、本気のスイッチ 正直センターは自分にとって足かせのようなものだったから、センターが終わってからはやっと一般の勉強に専念できる! という喜びが大きかった。この頃になると勉強するのが楽しくてしょうがなかった。周りの子たちに比べて自分は全然ピリピリしておらず、こんなに心の余裕があっていいのかと、逆にそれが心配でもあったのだが、気楽にいくのがいちばんだという結論に達した。 女子大の受験が終わった次の日、女子大の入試で解いた世界史の論述を添削してもらおうと、世界史の講師に会いにいつもどおり10時に予備校に行った。 「○○先生はいますか?」「え、今日は来ていないみたいだよ」「でも先生、月曜には来るって言ってましたけど」「いや、もううちの校舎には今後来ないらしいよ」「それってどういうことなんですか? 本部の人に確認してもらえますか」「分かった、本部に電話して聞いてみる」 ……何かがおかしい。嫌な予感がする。年末と同じようなことが起きているのではないか、そう思うといてもたってもいられなくて、全く勉強に集中できなくなっていた。 そして数時間後、衝撃の事実が告げられる。 「……○○先生は、お辞めになられました」 ……え? 何でこの時期に? 嘘でしょ? 絶対今回も予備校側は何か隠してるに違いない。そう、先生は辞めたんじゃなくて辞めさせられたんじゃないのか? 講師が直前期に2人も辞めるなんてありえない。こんな大事な時期に2人も講師を解雇するなんて最低の予備校だ!! 何でいつも私だけこんなに辛い目にあわなきゃならないの……? もう早稲田は無理なんじゃないか、そんなことを思いながらスタッフの前でわんわん泣き喚いたが、でもやっぱり込みあげてくるのは……「どうしても、早稲田に行きたい。」という気持ちだった。 「どんな力が働いたかは分からないけど、私は決して負けない。絶対に早稲田に受かって見返してやる!!」 今思うと訳の分からない言葉かもしれないが、そう吐き捨ててスタッフの前から立ち去り、気持ちが高ぶった状態のまま階段を昇る途中、壁を蹴ったり叩きつけてから自習室へと戻った。 いったい何を信じたらいいのか? 本当に信じることができるのは自分自身しかいないんじゃないのか? そう思いながら自習室の椅子に座り、世界史の用語集を開いたところに貼ってあった1枚の紙のなかのワンフレーズが目に飛び込んできた。 “You’ll never walk alone.” 自分の夢が挫かれそうになったとしても、前へ進み続けよう。 私はひとりじゃないんだ。ひとりで歩いてはいないんだ。 また、涙が溢れてきた。 その後私は先生と連絡をとり、やはり事実上の解雇通告を受けて予備校から去っていったことを知った。帰宅して事の詳細を家族に話し色々愚痴っていたのだが、最後に母が「あなたが受からないで誰が受かるっていうの? 自分を信じて、最後まで諦めずに行ってらっしゃい」と言ってくれたときには、めちゃめちゃ嬉しかった。もちろん母だけではなく父も妹も私の背中を後押ししてくれて、周りにはたくさんの人――特に1番近い存在である家族、に支えられて私がいることが改めて身にしみたのだった。 上智の試験日も数日後に迫り早稲田の試験日までも遠くない、また明日からも頑張ろうと思えるようになった。 ■受験結果 東京女子大学現代教養学部国際社会学科社会学専攻(センター方式) 合格 立教大学法学部政治学科(センター方式) 不合格 明治大学商学部商学科(センター方式) 不合格 聖心女子大学文学部 合格 上智大学法学部国際関係法学科 合格 上智大学経済学部経営学科 合格 上智大学法学部法律学科 合格 明治大学政治経済学部政治学科 合格 早稲田大学文化構想学部 合格→進学 法学部の前に1回早稲田の入試に慣れておこうと受験した。7号館で受けたのだが、背もたれのない長椅子は結構苦痛だった。英文の要約問題もさほど難しくなかったし、国語もわりとさらっと読めて、世界史も奇をてらった問題が多い上智に比べて易しく感じたので40分で終わった。手ごたえはあったが、きっと高得点の争いになるだろうと予想したため、油断は禁物だと考えた。 文構の発表は政経の試験日にあって、その帰りにJR飯田橋駅のホームで合格発表を聞いた。 「あなたの受験番号は……ゴォォォォォォオオ……でよろしいですね?」 ……快速電車が通過したせいで音声テープが聞き取れない。いやあんまりよろしくないんだけど、と思いつつ携帯のボタンを押し、心臓の音が高まるなか次の音声を待った。 「……おめでとうございます、合格です」 ……や、やったああああ!!!! ついに、ついに憧れの早大生になれる!!! 私もワセ女の仲間入り! そのことが嬉しくて嬉しくてたまらなかった。 発表を聞いてすぐさま母に電話をすると「試験が終わったあとに余裕のある表情を見ていたから、絶対受かっていると思っていたわよ。本当におめでとう」と言ってくれた。 その後予備校に行って、「早稲田に受かりました!」とスタッフに報告すると、近くでそれを聞いていた前述の例の集団のひとりが「わ、早稲田……!」と言っているのを聞いたときには、「どうだ、見たか!」と心の中でほくそ笑んだ。 早稲田大学法学部 不合格 2月15日。とうとうやってきた、第一志望の試験日。今度は15号館の大教室。沢山の人と怖い試験官に圧倒される。過去問演習で何度もやっていたし分かっちゃいたけれども、英語の長文問題であまりの文字の小ささに泣きそうになった。いつもは論説文と物語文がひとつずつ出題されていたのだが、傾向が変わってふたつとも論説文に。ガンジーについての文章で完全にパニックに陥り、その後しばらくはガンジーを恨んだ。休み時間には周りの子が喋っていることにふりまわされ、次の国語ではまず問題用紙の大きさに驚愕、大きすぎて机の上に収まりきらない。最後の世界史で盛り返そうとしたが、時すでに遅し。補欠合格に引っかかってくれりゃあいい方だ、と望み少なく、いままで頑張ってきたのはなんだったんだろう、という気持ちもあったのだった。 早稲田大学人間科学部人間環境学科 合格(大隈奨学金) 人科だけ世界史が90分と長かったのだが、順調に解いていった結果30分以上の時間が余り、見直ししてもまだ時間が余っていた。椅子の素材があまりよくなくて、最後90分座っているのが辛かった。この日の試験にあまり手ごたえは感じていなかったので、合格発表の数日後に大隈奨学金の奨学生候補に選ばれたという通知が来たときは本当にびっくりした。というより、そんな制度があることも知らなかった。4年間の授業料全額給付は非常に魅力的で、文構にするか人科にするかとても悩んだが、自宅から所沢まで通うのが大変であることと、自分のやりたいことは文構の方にあることから、親とも話し合って結局文構に進学することとなった。 早稲田大学政治経済学部政治学科 不合格 試験問題はさすが政経、といった感じではあったが、法学部の時よりは気持ちに余裕を持って解くことができた。それでもやっぱり分からないところが出てくると「こういうところも浪人生は確実にとっていくんだろうな」と思い、受かったらいいな、ぐらいのスタンスでいた。 早稲田大学商学部 不合格 すでに文構の合格が判明し、早大生にはなれるという安心感から気持ちに緩みが出た。英語そんなに難しくないじゃん、と思ったのから一転、国語で行き詰まり、諦めの気持ちからか試験中に激しい睡魔が襲ってきた。最後の世界史では、論述を含む大問がちょうど盲点だったところが出てしまい、もう終わったと思った。 早稲田大学社会科学部 棄権 連日の試験ラッシュで体力が限界に達して試験当日の朝体調を崩し、受験を断念。もともと文構に受かっていたので、もう社学は受けないつもりではいたのだが。体調の悪いなか、この日法学部の発表があって不合格を知り、気持ちが沈むのに更なる拍車をかけたのだった。 <科目別勉強法・使用参考書> ●英語 1.ターゲット1900 2.予備校でもらった熟語集 3.ネクストステージ 4.英頻 5.予備校の授業でもらったプリント類 ターゲットは何度も繰り返し、付箋だらけになった。単語は書いて発音して覚えた。イディオムも毎回の授業でテストがあり、早いうちから強化した。高2の1年間で英文法や英文解釈の基礎をだいだい固めたことは大いに良かったと思っている。英語はとにかく早いうちから基礎の部分はやっておくこと。予備校の先生の勧めで、高3の秋ぐらいから毎日CNN のリスニング教材を聞き速いスピードのものに慣れたら、センターレベルのリスニングが易しく聞こえるようになり、またリスニング力のみならず英語の総合力もあがった。 ●現代文 1.予備校教材 2.自分で作った用語集 基本的には予備校で解いた問題の予習復習を徹底してやり、自筆のノートを繰り返し読んでテーマごとの重要概念を叩き込んだ。同時に、ノートをもとに自分で用語集を作っていつも持ち歩いた。最後まで現代文、特に早稲田の現代文には苦手意識があった。 ●古文 1.学校でもらった文法書 2.予備校でもらった重要単語の載ったプリント 3.自作のミニノート 4.予備校教材 文法は中3くらいからこつこつやっていたが、正直単語はメジャーなもの以外は最後まであまりまともに覚えておらず、文章のなかで類推するということが多かった。でも、こんな私が言うのもなんだがやはり単語はしっかりやっておくべき。自作のミニノートには単語や文法事項に加え、古文常識や、はたまた一見古文に全然関係のない知識までも書いていた。予備校の古文の授業は、古文というよりむしろ日本語の授業といえるくらい、特殊なものだった。 ●漢文 1.学校でもらった文法書 2.自作のミニノート 3.予備校教材 1は漢文学習において大活躍の一冊だった。この一冊で句形は網羅できた。句形を覚えるために演習を積み重ねた。古文ができて初めて漢文もできるようになると思うので、まずは古文の学習方法をしっかり身につけることが大事。2に関しては古文と一緒。 ●世界史 1.予備校教材 2.教科書・資料集・用語集 世界史はその気になれば1年間でなんとか叩き込める。選択科目は好きだと思える教科を選び、そこでいかに楽しいと思えるかが重要になってくると思う。1単元が終わるごとに演習をやることの積み重ねだった。とにかく沢山の問題を解くべき。解いていくなかで覚えていく部分も大きい。用語集で調べた単語にはマーカーをひいて、調べた回数にともなってマーカーの色も変えていった。資料集は地図を確認したり、同時代の縦と横のつながりをみるのに活用した。 ●過去問 第一志望は過去10年間、他は早稲田は最低5,6年分、その他の大学は最低3年分は解いた。沢山の量をこなすことも大事だが、なにより解きっぱなしにしないこと。どこを間違えて自分は何が苦手なのか、そしてどのように強化していくかを過去問研究の中で見極めなければいけないと思う。運のいいときには似たような問題が出題されることもある。 ■最後に この長い体験記を読んでくださり、本当にありがとうございました。 受験生の時に得た知識はその後生きていくうえでも大切になってきます。 知識を沢山吸収することに対して貪欲になってください。 私自身、いつも新聞を読むことは絶対欠かしませんでしたし、新聞で取り上げられたトピックがそのまま長文のテーマになっていたこともありました。 また、高校時代に朝の礼拝で聞いた内容がセンターの長文に出てきたこともあります。 ちょうどそういったものが出題されたときにはラッキーと思いましたが、やはり運とは努力のもとに生まれるものだと思います。 そして、どんなにめげたくなることがあっても、自分を信じて最後まで駆け抜けてください。 困難にぶちあたったときに、絶望してしまうかそれともそれすらもパワーにかえてしまうかどうかが勝負の分かれ目です。 そしてなによりも、「どうしても受かりたいんだ!」という気持ちを忘れないで下さい。 周りにはあなたを支えてくれる人がたくさんいます。 辛くなったときには、まず話をしてみてください。 私は今、当初志望していた学部とは違うところにいますが、早稲田の地で1年間過ごしてきて思うのは、どこの学部に入ろうとも、早稲田大学に入れば絶対に楽しいキャンパスライフが待っている、ということです。これだけは保証します。 これを読んでいるすべての人の健闘をお祈りいたします。 来年の春、満開の桜の木の下でお会いしましょう! 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