vol.33 移ろう時代を見つめて・前編

2017年10月18日

1018鹿野さん記事前編

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「目に視える音」出演者インタビュー企画第一弾は、イベントの司会を務める音楽ジャーナリスト鹿野淳さん。90年代から2000年代にかけて邦楽誌「ROCKIN’ON JAPAN」でライターや編集者として活躍し、編集長を務め今や日本一の音楽フェス「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」の立ち上げにも関わった。現在でも自らの会社、株式会社FACTで音楽誌「MUSICA」の発刊や、さいたまスーパーアリーナでゴールデンウィークに開催される「VIVA LA ROCK」のオーガナイザーを務めるなど精力的に活動している。
今回のインタビューは「音楽とメディア」をテーマに行われ、その様子を前編と後編の二回にわたって公開する。
前編では、鹿野さんが音楽に目覚めたきっかけから、現在の活動に至った経緯を伺った。



鹿野淳
音楽ジャーナリスト。音楽誌「ROCKIN`ON JAPAN」の編集長を務め、独立後は株式会社FACTを設立。「MUSICA」を創刊し、さいたまスーパーアリーナで行われる音楽フェス「VIVA LA ROCK」を立ち上げるなど、様々な視点から音楽シーンを見据えている。



――最初に、鹿野さんが音楽にのめり込んだきっかけを教えていただきたいです。



僕は5歳の時からエレクトーンやってまして、11歳のとき先生の免許を取るぐらいちゃんとやってたんです。そのときのビートルズの「ヘイ・ジュード」とかを弾いていたんですが、だけど当時ビートルズがロックバンドだってことをあまりわかってなかったんですね。だから、それは別にロックへの目覚めでもなくて、学生のときにセックス・ピストルズを友達の兄ちゃんとかが聴いてて「セックスとかついてる!やべえよ!」みたいな感じでロックが好きになったのがきっかけですね。
さらなる転機は、高校2年のときです。当時の漢文の先生が急にレ点打ちながら「うええうええ」と言い出して、その後に「今のは、ノイズです」とか言い出すんですよ。僕ら生徒たちが唖然としていたら、その先生が「ロックが好きな人は、放課後に僕のところに来てくれ」と言うので行ったら、先生のバンドが自分で作ったドーナツ盤を渡してくれた。その曲のタイトルが「M.U.R.A.」だったのですが、先生がこれは「My United Red Army」という言葉の頭文字だと言うんです。僕はおそるおそる「先生、これもしかして“私の連合赤軍”って歌ですか」って訊いたら、「その通りです」と返されて、かなり衝撃を受けましたね。吉野大作さんと言うんですけど。そのあと先生が横浜国立大学の学祭でライブをやるというから行ってみると、それがまたすごくて。当時アングラロックシーンでは有名だった、スターリンやばちかぶり、暗黒大陸じゃがたらといったバンドが出て、そのライブのトリが先生のバンド、吉野大作&プロステチュートだったんです。これを見たとき「先生しかこの世界に英雄はいない!」って思ったんです。そこから学校内でもロックが一気に流行りました。
当時ロックはアンダーグラウンドなカルチャーだったんです。今とは想像もできないくらい、テレビや一般大衆とはかけ離れているものだった。そういうものがすごく身近にあったというのは、いい環境だったと今になると思います。



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