vol.35 時間のなかを生きる言葉

2018年5月9日

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――なぜ、その言葉の使われる頻度などのデータではなく、会議で採用する言葉を決められるのですか。



客観的な数字に基づいてデータを集めても、辞典として必要な言葉が集まるとは限りません。それより老若男女の集まった編集部員がさまざまな角度から検討する方が有効です。また、人間の肌感覚がどこの辞典でも重視されているからこそ、辞典ごとに個性が出ます。



――会議では編集部のかたがなじみのない言葉も採用候補としてあげられますか。



一部の人しか知らない言葉もあります。1万項目のなかで実際私がなじみのある言葉は10分の1もないと思います。特定のグループの中だけで使われていた言葉が、だんだん周りの世界にはみ出ているくらいになると広辞苑に入れていいと考えられるかもしれません。例えば、野球での「ピンチヒッター」という言葉は日常生活で、「ピンチヒッターでちょっと会議出といてよ」というように使われていますよね。逆に、載せないと判断する言葉は一時的な流行言葉などです。また、意味を組み合わせればわかるような複合語も辞典には載せないのが原則です。例えば、「的」を付ければ「戦略的」、「国家的」のように、いくらでも言葉は作れてしまう。けれども、「官僚的」みたいな、「お役人」という意味だけの「官僚」が、「官僚的」と言えば「決まり切ったことを四角四面で融通も聞かずにやる」という新しい意味が加わるので、それは辞典に載せます。



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――本来の言葉の意味と違う意味で使っている言葉があります。例えば「失笑」。本来は「こらえきれず吹きだしてしまうこと」でも、今では「笑いも出ないくらいあきれる」と使われています。本来とは違う意味も、浸透性を理由に掲載されることはありますか。



もちろんです。新しい言葉も生まれれば、新しい意味も生まれる。言葉は使う側によって意味も形も変わっていきます。そもそも変わらない言葉はありません。有名なところでは、「姑息」は、「その場しのぎ」というのが本来の意味ですが、「卑怯、ずるい」などの意味で徐々に使われるようになりました。「姑息なやつ」であれば、「卑怯な人」という意味ですね。「確信犯」も、「それが悪いと知っていても犯す犯罪」が新しい意味ですが、本来の意味は「主義主張に基づいて行う犯罪」です。
 今回の広辞苑では、「ヤバい」という言葉にも新しい意味を加えましたし、「盛る」という動詞も「化粧を盛る」、「話を盛る」のように使われるようになりましたね。元の意味に加え、いわゆる「若者言葉」として使われる意味であっても入れることがあります。広辞苑は、意味が変化してきた言葉については古い意味から順に載せる方式です。他の辞典では、現在主流として使われている意味を最初に載せることもあります。古い順に意味を載せることによって、歴史も踏まえたその言葉の全体像を理解することできるのではないでしょうか。



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――「若者言葉」というと、世間では否定的な印象を持ちがちです。権威ある人に認められなければいけない点では、学生が使う言葉が、広辞苑に採用される可能性はどれくらいあると思いますか?



若者言葉が社会で定着する可能性は十分あります。若者言葉は最初、「俗っぽい」言葉から始まるわけですが、世の中では古くから使われている言葉のほうが権威があり、伝統ある「きれい」な言葉という感覚があります。そのため若者言葉には年配の方が違和感を覚えます。でも、若者もお年寄りの言葉に対して違和感があるでしょう。今の若い世代はら抜き言葉を使いますね。そこでは「食べれる」は可能の意味、「食べられる」は受身の意味と使い分けられている。意味の違いが形に反映されていなかった昔に比べると、ら抜き言葉のほうが望ましいともいえます。「シャン」は、旧制高校の学生語で「美人」という意味で、戦前の若者言葉です。いつの時代にも若者言葉が存在しています。いつの若者も新しい言葉を生み出す力を持っていると思いますね。



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