特設コラム

禁じられた落語

いつの時代も「禁じられた○○」というフレーズは人の興味をそそるものである。よく言われるものとして、禁じられた本、つまり発禁本は日本での矢内原忠雄『帝国主義下の台湾』やソ連でのアダムスミス『国富論』などが歴史的に有名である。どちらも禁じられた理由は明確で、本の内容が当時の国家の方針にそぐわないものであったからだ。

 

では当コラムのテーマでもある「落語」に関してはどうだったのか。一般的に「禁じられた落語」という言葉はあまり聞かない。そもそも落語は本と違って口承される無形の文化であるし、なにより政治批判からは離れた娯楽の一種である。

 

だが、調べていくと落語にも禁じられた演目は存在することが分かった。しかも、その禁は現代まで続くものだった。

 

まず、落語の世界で有名なものは今も浅草に存在する「はなし塚」だろう。昭和16年10月30日にそれは現れた。時は第二次世界大戦だった。噺家達は不適切であると思われる演目53個を「はなし塚」に葬った。つまり自主規制を行ったのだ。

 

その中にあの立川談志も演じた「二階ぞめき」がある。内容をかいつまんで説明すると、風俗街である吉原が大好きな主人公のために店の二階に吉原遊郭を作って…という筋である。一例をあげるとわかるように、戦争の暗い空気の中で艶美な話や荒唐無稽な話を噺家達は控えたのだ。

 

次に、落語が禁じられたのは戦後GHQによってだった。GHQの占領下、日本では軍国主義の徹底排除が目指された。明治維新から膨張し続けた日本人のナショナリズムを消し去ろうとしたのだ。そのためには伝統的な文化であっても規制を厭わなかった。

 

禁じられた演目の一つが「肝つぶし」だ。あらすじは、こうだ。主人公の友人は病気だった。それを治すためには同じ年月に生まれた女の肝を煎じて飲めばいいとのことだった。主人公の妹がこの条件に当てはまっており、夜更けに主人公は妹を殺そうとする。妹はすんでのところで目を覚ます。主人公は「これは芝居の稽古だ」とごまかすと、妹は「肝をつぶしたわ」と返す。それに主人公が「肝がつぶれた?それでは薬にならない。」と返して落ちる。

 

殺人や肝を煎じるという暴力性や狂気から軍国主義が再燃すると思われたらしい。この話の肝はそこではないと思うが。

 

ともあれ、あまり知られていないが落語はこのようにして大きく戦争の煽りを受けた文化だったのである。

 

そして現在、冒頭でも書いたが禁は未だに存在する。http://waseda-links.com/waseda-festival/column/column2/ 「落語のいろは」にもあるように噺家は当日の客層を見てどの演目を演じるか決める。最近はLGBTなどマイノリティーを尊重する風潮があるが、噺家もその影響を間違いなく受けており「お客さんの中に配慮が必要な方がいるのではないか」という考えに至り消極的選択をすることも多い。

 

例えば、「心眼」である。この噺の中には盲目の主人公が登場する。恋人が薬師如来にお参りし続けた結果、主人公の目は見えるようになる。しかし、主人公は恋人が醜い顔であることを知ってしまい、浮気してしまう。そして恋人に問い詰められるところで目が覚める。目が見えるようになったのは夢だったのだ。

 

このようなあらすじゆえに盲目の方やその関係者への配慮で「心眼」は噺家が自主規制する禁じられた演目になってしまった。戦争と同じく、配慮を重んじる時代が禁を作り出したのだ。

 

禁じられた落語にはそれぞれに時代の文脈が存在する。大衆芸能である以上、世間に迎合してきたのは仕方ないかもしれない。しかし、禁は禁のままでもいい。いかに失わないかが大切だろう。