2014年3月 宮崎県立宮崎西高校卒業
2015年4月 早稲田大学 スポーツ科学部入学
■終戦
2015年3月2日9時45分、受話器をそっと置いた。戦争は幕を閉じた。こみ上げる感情を抑えるのに必死だった。振り返ると2013年3月、高2が終わる時期から始めた受験勉強は明らかに遅かった。
■高校1年生
2011年春、県内上位校にギリギリで合格した。
たいして勉強もできないのに得た合格からひたすら自分に酔っており、高校生活が始まっても全く勉強していなかった。
中学までは得意科目で誰にも負けなかった英語が知らず知らずに下がっていき、ついには英文を読むことができなくなった。
焦ってはいたが、自分なら有名大学や国公立大学にだってなんとか入れるだろうと根拠のない自信を持ち、怠惰な生活を送っていた。
周りの天才たちと一緒になって、授業中はずっとゲームをしていたこともあった。
定期テストにおいても赤点との睨めっこ。
テストの前日にひたすら詰め込む短期記憶にのみ頼る生活をしていた。
■高校二年生/高校三年生
そんな中、高2の冬にセンタープレ試験を受けた。結果は想像できるだろう。
ようやく危機感が芽生え、現役で大学に受かるという約束で両親に土下座をし、東進衛星予備校に通わせてもらった。
夏には毎朝早起きをし、部活が始まる時間まで予備校で勉強。部活が終わった後も閉館時間まで予備校で勉強をする毎日を送っていた。
人生でこれまでにないほど勉強をした結果、学力を少しずつ伸ばすことができた。
さらには人生でこれにもないほど長時間椅子に座った結果、イボ痔を獲得することもできた。
このまま順調に勉強をしていけば現役合格も夢ではない、1学部ぐらい早稲田合格だって勝ち取れるかもしれないと考える余裕まで持った。おめでたいやつである。
■受験本番
しかし現実はそう甘くはない。
高校時代の最後の1年以外遊びほうけていた痔持ち高校生はMARCHすら届かず、大学受験全敗を喫した。
もちろん第一志望学部である教育学部の不合格の電話を聞いたときは涙を流した。
だがこの涙は中3の夏、県大会で敗北を喫した時の本気の悔し涙ではなかった。
本気の悔し泣きをできない自分が情けなかった。
このまま無職で過ごすわけにもいかず、浪人することとなった。
土下座をしたって果たせない約束もある。
今度こそ何が何でも早稲田に合格すると、土下座をせずに約束した。
■浪人時代 春
浪人してみるも4月は授業も少なく、気持ちを引き締められず、携帯をいじる癖をつけてしまった。
twitterで現役合格した知り合いのキラキラした楽しそうな大学生活を垣間見、自分はなぜこんな思いをしているのかと憂鬱になる毎日だった。
人間見なくていいものほど意志の弱い者は見てしまい、自己嫌悪に陥ってしまうのである。
そんな憂鬱な春に、知り合いの大学生と食事をする機会があった。
そこでは自分が予備校へ通いながらも浪人できている幸せをようやく認識することができた。
予備校に通いたくても通えず宅浪をする人がいて、行きたくもない大学へ通わざるをえない人がいる。
素晴らしい環境で早稲田を目指すことができる自分はなんて幸せであるのかと。
そこから再び、気持ちを入れ替えた。
自分の通っていた予備校には良き友や先生に恵まれていた為、早稲田のみ集中して目指す環境に身を置くことができた。
毎朝同じ時間に予備校へ行き、それなりにノルマをこなし、全ての授業を最前席で受け、先生の雑談までしっかりとメモを取るまでバカ正直に勉強に励んだ。
肌寒い秋、予備校の友達に誘われて早稲田祭へ赴いた。
気づいたら、だらしなく学ランを着こなす男女の集団に早稲田魂という雑誌を買わされていた。
そこにいた早大生から受験の話、早稲田の素晴らしさ、言葉にできない魅力を感じ「俺はなにがなんでも早稲田大学に入ってやる」と夢の中でも叫んでしまうほど堅く決心することとなった。
■浪人時代 冬
気づけばカレンダーは12月になっていた。
はじめは4割にも届かず苦しかった過去問も、自分なりに研究を重ねていくとなんとか苦手な英語も7割、調子が良いと8割に届くようになった。
このままならいけると意気込み、駆け抜けていった。
駆け抜けすぎてセンター試験では筆記用具を忘れるという失態を犯すこともあった。このときは筆記用具を借りることができたが、かなり動揺した。きちんと前日から準備をして忘れ物には気を付けよう。
世界史では満点近い得点を収められたことから、予備校の友人に勧められ全く視野に入れて無かったスポーツ科学部をセンター併用入試で受験することを決意した。
■二度目の受験
MARCHの入試は忘れ物もなく合格通知を手に入れることができ、全勝で今年の入試は終わると確信していた。
その矢先であった文化構想学部の入試。英語の時間に頭が真っ白になるという試練を受ける。
まだ残り6学部もあるのだから落ち着こうと思ったが、落ち着こうと深呼吸をすればするほど英文が頭に入ってこない。
簡単な単語すら読めなくなるほど混乱し、早稲田最初の入試は満足のいかない結果に終わった。
何とか気持ちを入れ替えていたが、どうにもこうにもならなかった。
一番自信のあった商学部入試でも英語の時間に奴が現れ、パニックになり、気づいたら終わっていた。
粉骨砕身の思いで受けた社学は、早稲田入試史上最高のパフォーマンスで受けることができ、最後のチャイムが鳴るまで集中し続けた。
帰り道はバスにも地下鉄にも乗らず、あえて馬場歩きをした。
一年前の悔しい気持ちを忘れ、明るい夕空の紺青を仰いでいた。
■受験結果
次の日、どうせ受かってなかっただろうと思っていたスポーツ科学部に受かっていた。
普通の合格体験記ならば、筆舌に尽くしがたい喜びをここに記すだろう。だが本キャンに行きたいと思っていた自分には、思いっきり喜べなかった。
その後、合否の電話をかけてみるも、不合格の嵐。
何よりも辛かったのはベストを出し切った社学の不合格通知であった。
後日、入試得点開示をしてみると合格まで3点弱足りなかった。
そして商学部の不合格通知をうけ、自分の受験戦争は終戦を迎えた。
結果は1勝6敗。素直には喜べなかったが目標であった早稲田大学に合格したのであった。
贅沢な悩みだが浪人中、辛いときにもう少し頑張れたのではないか後悔している。
伝えたいことは、終わってから微塵も後悔をしない勉強をし、1つでも多くの英文を読みこんでいくことが早稲田合格への近道であると思う。
どんな時でも人の何倍も早稲田を愛し、なにがなんでも早稲田に入ってやると思う情熱さえあれば、紺碧の空の下で大隈先生は微笑んでくれるさ。
■P.S.
本キャンコンプが抜けず、スポーツ科学に全く興味の持てなかった私はこの文章を書いた3か月後には転部を決意しました。
運良く合格でき早稲田までの通学定期を手にいれることはできたものの、2年になってから1年生と同じ第二外国語のカリキュラムを受けるのはめちゃめちゃしんどかったです。
皆さんには遠回りをせずに、自分が学びたいと思う学問、納得できそうな学部をたくさん受けてほしいと思います。
矛盾してしまいますが、できるだけ多くの学部を受ける中でも第一志望の対策は誰にも負けないと自負できるほど猛烈に勉強してください。
あなたが思う限界はまだ限界ではないと思いますよ。あなたが来春にこのブログを書いていることを願います。後悔ない勉強を頑張ってください。