商学部

【現役早稲田商学部合格】帰国生入試で早慶合格!

投稿日:

2018年6月 Novi High School卒業
2019年4月 早稲田大学商学部入学

■プロフィール

3歳から小学4年生の後半までアメリカ合衆国イリノイ州に住んでいました。

小6から高校卒業まではアメリカ合衆国ミシガン州に住んでいました。

予備校:代々木ゼミナール大阪ミナミ校国際教育センターを6月〜9月利用

科目:TOEFL、数学(日本語)、国語 、小論

得意科目: 数学(英語で)

苦手科目:日本語で全科目

■早稲田を目指した理由

アメリカでずっと生活をしていて、高校を卒業した後、多くの日本人が帰国して日本の大学を受験する姿をみてきて自分もそうなると思っていた。また父親が慶應であったため、早慶には受かるのが当然みたいなプレッシャーがあった。

TOEFLの点数から両者合格圏内だったため、日本語を頑張ればどうにかなると思っていた。また、私学だと帰国生受験は遅くて10月で国公立だと11月から受験のため、日本の大学にすると決めた瞬間私学に絞った。

■高校1年の時の自分

週6でスケート場に通っていた唯一休みであったのは水曜日の午後であった。また遠征や進級試験などで学校にはあまり行っていなかった。高校に上がったころに、学校を休みすぎて「これでは出席日数で進級できない」と手紙が来た時があったくらいだ。しかし、アメリカのいいところは成績がある程度よくて学校に行けなかったのは大会や試験だったと説明すると翌年からなにも言われなくなる自由さだった。

脳筋な生活はしていて、やはり将来のことを考えるのは大事なため、この頃の自分はアメリカの大学へ進学するか日本の大学に進学するかすごくなやんでいた。いま生活している環境でこのまま成長するか、ガラリと変えて帰国するか。

■高校2年の時の自分

アメリカの大学へ進学すると、自分の合格圏内である大学は学費が早稲田の3倍近くはした。またビザでアメリカに住んでいたため、その値段に加え学生ビザなどで政府や学校に追加で払わなければいけないものがあり、三人兄弟の長女にしては親に申し訳なさすぎる値段だった。

最初は「じゃあ、ランクを落としてそれでもアメリカに残って大学とスケートを続けよう」と思った。しかし、この頃の私はアメリカ代表として国際大会に出場するほどの強豪にいて、その遠征費、月々のレッスン代、とてもじゃないけど、大学とスケートを続けるといつか破産すると思った。

そこで私はアメリカの大学ではなく、新たな環境に新しい経験を求め日本の大学に帰国することを決めた。日本の大学へ進学しようと決めた瞬間のその日の夜に日本行きのチケットと予備校に申し込んだ。決めたのは高校2年の一月であった。

■高校3年春の時の自分

帰国生の特徴は6月卒業、6月中に帰国して、早くて8月から入試だった。

しかし、帰国する前にやることがあった。それはSATという模試に似たもので、アメリカ全国の高校生が受けるテストである。SATを受けることと、TOEFLの点数が必要であった。周りの人たちはこれらのテストを一年前から受けていたなか私は最後の2ヶ月でTOEFLを二回、SATを一回受けたそれとともにSATの科目テストを受けた。

■試験結果

TOEFL 102点

SAT 1230(Reading 530: Math 700)

SAT Litreature 450

SAT Math level2 620

SAT Biology 440

TOEFLはすぐ少ない練習で100を超えられた。しかし、もっと時間があればもっと満点に近づけられた自身はあったが時間はあった。それより、問題なのがSATのテストの方だ。慶應合格確定が1300点のくせに70点も足りないという低い点数をだした。

点数をみても分かりにくいが、1230でもアメリカ全国の上位16%に入っている。とくに数学で700点は上位5%の点数だ。読解、文法は上位42%というバランスの悪い結果だが、いいとこはいい。

■高校3年夏の時の自分

卒業の時期にはアメリカの大学に進学する人はもうすでに進路は決まっていて、住むところも決まっていて、9月から始まる学校まで思いっきり楽しもうっていう姿勢で卒業証書を受け取っていた。そのなか、大学も決まっておらず、受かるという根拠もなく、帰国するというのはかなりのプレッシャーだった。

卒業後一週間とたたずに日本に一人で帰国した。受験期は母方の祖父母の家でお世話になった。

そこから私は予備校に朝の9時前から夜の9時までの生活が始まった。

ひたすら日本語を勉強した。

小論の書き方、長文読解、日本語で説明される数学。家では日本語で話ししていたが、日本語で何かを学ぶというのに自分は慣れていなかった。また帰国子女受験向けの予備校であっても、周りの人は3、4年海外住んでいた人ばかりで、日本語で授業を受けるのは当たり前という姿勢で、私は浮いていた。

また授業が終わっても、慶應は志望動機書が日本語で書かれたものが必要であったため、それとのにらめっこで精神的にも体力的にも疲れていった。

■受験シーズン到来

最初に受験した大学が早稲田だった。しかし、その日の前日には慶應の書類、一次が通ったことを知った。いままで勉強だった日々が、とうとう本番にきてしまったと実感した。

また計画性のない自分は早慶上智、関西学院大学にしか書類を提出していなかった上、それらの大学も経済学部か商学部で併願もせず、このまま早慶に落ちたら可能性がある筑波と一橋だった。

確かに両者とてもいい大学ではあるが、帰国子女の性格のぶっ飛びぷりを受け入れてくれるのは私学だと思った。

■受験の時の自分

慶應の一次が受かっても二次落ちれば私は国立コースに入り、今まで以上の辛い思いをするだろうという恐怖でいっぱいだった。

■受験結果(早稲田以外の大学学部学科)

○慶應義塾大学商学部 合格

圧迫面接でした。鼻で笑われた。

○上智大学 不合格

受験会場に行かなかった。

○関西学院大学 不合格 

受験会場に行かなかった。

■早稲田の合格発表

なぜ上智と関西学院大学を受けに行かなかったのかというと、それは早稲田に受かったのを知ったからである。もともと、関西学院大学は滑り止めとして出していたため、受かった瞬間アメリカに住んでいる親に行かなくて良いと許可をいただき、予定から消した。上智は早稲田に受かったし、行くホテル代と交通費が無駄だと感じて受験日の前日に親に行かないと報告した。

■受験結果(早稲田の学部学科)

○早稲田大学商学部 合格

トイレがきれいでここに決めました。

■おすすめ勉強法

計画的に動く。帰国子女受験は私学の場合すぐ終わるという点がメリットだ。しかし、それと同時に早すぎるのはデメリットでもある。日本語になれる時間があまりなかった。

大きなカレンダーを買おう。それに書類提出の日、受験日など記入。ホテルの予約も早めにとる。

帰国子女の赤本は存在しないため、過去問を10年分、受験日までに解こう。帰国向けの予備校ならどこにでもある。なので、帰国対策している予備校を決めるのも重要だ。価格は高いが、その分資料はいっぱいくれる。

面接、志望動機書がある大学が多い。早稲田はそれらはどちらもなかったが、それらがある大学は早めから準備しよう。一つ大きなイメージがあればどの大学に書く際も悩まなくて済む。またテーマは自己分析などして見つけるのもあり。空っぽな人間より、成長のため大学にきたいという人の方が受け入れる側として魅力的だ。

■生活面・精神面

朝ごはんが食べられなかった日もあった。2ヶ月って長いようで本当に短いのだ。

休める日は休む。

体もだけど心も。受験だから難しいけど、頑張らない日を二週間に半日作るといい。本当になにもしない。ただただボーっとしたり、自分の好きなことをその半日にしよう。

■在籍学部のいい所/悪い所

学部独自の留学プランもあったり、起業家養成講座という授業があったり、早稲田愛の強い先生や、毎回授業の数十分留学を進める先生がいたりして、とにかく自分の成長したいように成長しなさいという環境だ。世界を知れ、世界に出ろって感じでもある。

ある先生が何回もいっていたが、大隈さんの言葉らしいが「一身一家、一国の為のみならず。進んで世界に貢献する抱負が無ければならぬ」、まさに商学部はこのような人材を育成したいと考えている学部だ。

チャラ商と言われていたが、実際チャラいのは頭だけで、私の周りだと比較的コミュ商がおおいのでは、、、、

■最後に

帰国生入試については情報が少ないけど、この記事がみんなの役に立てればと思う。

受験は確かにつらい。でも受験ってつらいものだと私は思う。周りの受験生も辛かった。

でも、帰国生入試制度ってすごく恵まれた受験制度だとも思う。自分の学歴も見られるが、大学によって海外での経験によってどのようにその人が形成されていったかで判断する大学もある。

帰国生入試は海外でいっぱい経験していくことが最大のカギだ。それらを重視して受験生のみんなには頑張ってほしい。

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