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早稲田リンクスワセトショ>萩原規子
   

――素晴らしいファンタジーの世界を多々生み出していらっしゃる荻原さんですが、作家になろうと思ったのはいつ頃のことですか?

小さい頃は、作家になりたいと思ったことは全然なかったんです。でも、高3になるちょっと前くらいに、ふと、自分の読みたい本は自分で書いてみたらどうだろうと思った。それで、大学に入ったら頑張ってみようかなと。でも、いざ早稲田に入ったら遊んじゃいました(笑)。受験からの開放感で、すぐにはそういう方向に向かなかったの。早稲田に入って一番初めに、高校の友達にひっぱられるまま早大混声合唱団に入っちゃったんです。そこで色々な人と遊んだり、バイトに励んだり。歌番組でのバックコーラスとか、合唱団としてのバイトが面白くて。そうやってバイトしてはサークルで必要なお金を捻出して、1年生の間はそんなことばっかりやっていました。で、2年生のときに初心にかえって、ファンタジーを書きたかったことを忘れちゃいけないと思って、児童文学研究会に入ったんです。

――混声合唱団をやめて、児童文学研究会に入られたのですか?

合唱は2年の終わりまで続けていたんだけど、かけもちが大変だったのよ。でも、どちらを選ぶかというときに、やっぱり児童文学のほうを選んじゃったあたりに、私の人生の分かれ目があるんだと思う。合唱団にいたときも、定期演奏会でぶ厚いパンフレットを作る委員になって、文章を書いたりして。やっぱり私って、そういう方向に向いてしまうんだなぁと思っていたし。でも、いざ児童文学研究会に入ってみたら、理論をやるほうがメインのサークルだった。曜日によって、この日は評論の日、少年詩の日、創作の日とパート別の研究会が色々あるんだけど、自分のバイトもあったから、創作の日に毎回出られるとも限らなくて、結局、評論をメインに出ていました。

――では、あまり作品は書かれていなかったのですか?

3作か4作くらいは書いたかな。最初に書いたのは、古事記を扱った話でスサノオがモチーフになっていて、80枚くらいの作品。その頃、今は絵本作家のいとうひろしさんがサークルにいらっしゃったんだけど、「この人の書いたものは子供に読まれると思います」と機関誌に書いてくれたのね。今思うと、それが結構支えだったかなぁ。あとね、やっぱり理論的な方向ばかりじゃなくて、エンターテイメント性のある、自分たちが好きな話を書きたい人がいて、そういう人たちだけで作品を書いて回し読みをしていた。裏作品って私たちは呼んでいたけれど、それが「西の善き魔女」の原型です。あれははじめ、レポート用紙に鉛筆で書いていた作品だったの(笑)。