合格体験記 vol.29 |
[早稲田を目指した理由] ・自分が目標とする職業に、多彩な人材を輩出していた。 ・様々な方と接点を持てる大学だと思った ■[〜高3・夏] 元々は国立の大学に進みたかったが、理数科目の不出来を理由に挫折。高3の夏頃には早々と私立専願にシフトしてしまった。 私立を狙うとなった段階で、真っ先に意識したのは「ワセダ」の三文字。駅伝や野球、ラグビーなどで昔から愛着を持っていた上、マスコミの仕事がしたいという目標があるため、アナウンサーやジャーナリストを多数輩出している早稲田大学は格好の学び舎だった。 しかし通っていたのは、奈良の片田舎に在る偏差値50そこそこの県立高校。早稲田を目指すというだけでチヤホヤされるようなこの学校に、そこを見据えて勉強出来るカリキュラムなど存在しない。そこで僕は、河合塾の夏期講習に参加しようと考えた。 この講習によって、自分がいかに無知であるかを理解した。そして、勉強の仕方そのものが変わっていく。長文読解はコピーを取ってから演習するようになり、「構造分析」をし始めたのもここからだった。なにせ生まれてこの方、塾になんて通った事がない人間だった為、見聞きする全てが新鮮だった。 ■[高3・秋冬] 予備校で会得したノウハウを元に、秋以降の学習を進めていった。早稲田との距離は未だ大きかったが、確実に成長しているという感覚があった。 冬休みに入ると、再び河合塾の講習に参加。年の瀬の喧騒をよそに孤独な闘いが続く。学校と違い、同じ講習に参加する人の大半が同じ大学を受ける「ライバル」だというシビアさがモチベーションだった。 半年前、500語そこそこだった英単語の語彙力は、2000語レベルの単語集を大方マスターするレベルに達していた。読解力も、講座を通じてだいぶ付いてきたかに思われた。しかし、その自信は直後に崩れてしまった。 [現役・戦場にて] 僕はセンター試験で地獄を味わう事となる。英語はなんと6割を割り込み、国語も7割そこそこしか取れなかったのだ。センター利用なんてあったもんじゃないし、一般入試に向けては不安が先に立つ。 その辺りから完全に歯車が狂い始めた。赤本をやっても凡庸な結果しか生まれない。実力が付いたと思っていたのは、完全な過信だった。そう思うと、併願校にすら受かる自信が薄れていた。闇雲に勉強時間数を増やそうとしても、気持ちが乗ってこない。完全に調整不足のまま、受験戦争は幕を開けた。〈2009年度入試〉 ・同志社大学商学部 ×・同志社大学法学部法学科 × ・早稲田大学政治経済学部政治学科 × ・早稲田大学商学部 × ・早稲田大学社会科学部 × 最終日、社学の試験会場から出て来た僕は、失意の中歩いて新宿へ向かった。試験は全部終わったのに、衝動に駈られ紀伊國屋書店で3冊問題集を買う自分がいた。 悔しかった。結果はまだのに、「来年」を意識する自分がそこにいた。しかし、勉強に対して何かしらのアクションを起こさずにはいられなかった。 [浪人・序章] 全結果が出揃った後、父親に「今から出願できる大学は無いのか。そもそも、何故あれだけ少ない校数・回数しか受けなかったのか」などと詰問された。僕は浪人をするという事、そして「予備校には通わない」という事に関して説明をした。 高校の部活で、不完全燃焼に終わっていた。いい加減な練習・調整しか行わなかったせいで、最低でも近畿大会を目指そうと臨んだ最後の夏、僕は県予選で敗退してしまったのだ。だから、せめて勉強は中途半端で終わりたくなかった。浪人をしてでも、私学の最高峰を目指そうと考えた。 ただ、浪人をして東京の私学を目指す事に対して、どうしても金銭的配慮は生じてしまう。おまけに自分は長男。予備校に莫大な費用をつぎ込んで貰うことは許せない。 一通り話した後、父は「考えは分かった。好きなようにさせたる。ただ今まで通り、講習だけでも予備校に行ったらどうや」とだけ告げた。 僕はその提案を受け入れた。バイトで講習代を稼ぎながら家で勉強する、という毎日が始まる。 [浪人・〜夏] 大学デビューを果たす友人がいる。予備校に通い始めた友人もいる。そんな中、僕は地元のスーパーでレジ打ちを始めた。さすがに、自分でも異色の浪人生だと思った。 ただ、バイト先の同僚はみんな良い人ばかりだった。高校生もいれば、自分の母親より年上のパートさんもいる。皆、口を揃えて「ワセダかぁ、バイトしながら大変やな。頑張りや!」と労ってくれる。店長さんも気さくな方で、顔を合わす度「勉強進んでるか?しっかりやれよ〜」とハッパをかけてくれる。実はこの人も、かつて浪人を経験していたクチだった。だからこそ、僕の気持ちを十二分に理解してくれ、短期でしか働けない若造を心底可愛がってくれた。多くの人に支えられているなと思うと、頑張らない訳にはいかない。 夏までは、基礎強化を徹底した。読解はほとんど行わず、語彙や文法に時間を割いた。模試は早稲田関連のものしか受けないことにした。当面の目標は8月、早大プレ。「C判定くらいは狙いたいな」などと意気込む。 迎えた、浪人最初の模試。僕は、2月の屈辱に似た思いを抱く事となる。英語がまるで分からず、国語も時間不足で撃沈した。理由は明確、読み慣れが足りない事。間に夏期講習を挟んで読解の練習はしていたとはいえ、基礎に掛ける時間が多過ぎた。 [浪人・秋冬] 秋以降、従来の反省も踏まえ、応用力も意識した勉強を進めていった。1日1題ずつ、英語や現代文、古文の読解をやるという極めてオーソドックスな学習法だが、読み方や解き方など、講習会で教わったノウハウを思い出しながら丁寧に確立させていった。 しかし、最後の模試まで政経や商では最低評価のままだった。学部によってはAやB判定も貰えたが、自信には繋がらない。僕は成績の伸び率の低さを理由に、滑り止めを日東駒専レベルにまで下げようとも考えた。 それがまずかった。父はその考えを耳にするなり、怒鳴り散らした。 「どうしても早稲田行きたい言うて浪人したんちゃうんか?それが今更、何がニッコマじゃ!早稲田以外受けんな、落ちたら働けアホ!」 文脈の全てが本心ではないのは明確だった。別に、早稲田or就職の二択を迫る気なんて毛頭無かったはず。 「弱気になるな」その想いを、より明確な形で伝えたかっただけだと、僕は解釈した。叱咤激励を糧に、また熱い気持ちで走り始めた。 年末の段階でバイトは一旦休止した。センターは回避するため、私立一般に全神経を集中させていく。とはいえ、バイトを辞めても1日の勉強時間は平均5、6時間。世間のイメージする浪人とは程遠い生活だったと思う。自分では、それ位の時間数できっちり集中するというパターンが一番しっくりきていた。 浪人してからの講習は一貫して代ゼミに通った。その集大成・直前講習において、ようやく手応えを掴む。テスト形式のテキストで、合格ラインを超える良い点数が取れた。未だ好不調の波は在ったが、E判定からの逆転に自信を深めた。 [浪人・戦場にて] 二度目の冬の陣が開戦された。まずは中央大学。地方入試なので、模試と変わらない雰囲気で受ける事が出来た。英語で若干躓いたが、十分手応えはあった。 そして早稲田とのリターンマッチ。正直、政経に対しては勝算がほとんど無かったが、他の2学部には「五分五分」の緊張感で対峙した。 やはり、英語で躓く。商学部に至っては、会話文が2題というマイナーチェンジが施されており、ずいぶん面食らった。僕は「絶対負けない、絶対解く、絶対受かる」と念じ続けた。すると心なしか、読解のスピードが上がった気がした。 全ての戦いが終了して、僕はまた、新宿の喧騒の中にいた。充実感、後悔、希望、不安。色んな思いを携えて歩いていた。さすがに今年は、問題集を買うような真似はしない。「是が非でもひと月後、この街での生活を始める」そう言い聞かせ、帰路についた。 数日後、各試験の合格発表が始まった。ネットでの発表もあれば、電話発表もある。どれも無機質で、シビアで。胸の高鳴りを押し殺しながら、一つ一つ受け止めようと思った。 〈2010年度入試〉 ・中央大学経済学部公共環境経済学科 × ・中央大学経済学部経済学科 ○ ・早稲田大学教育学部教育学科生涯教育学専修 ○ ・早稲田大学政治経済学部政治学科 × ・早稲田大学商学部 ◎ 中央の片一方が落ちているのを知った時は「これで早稲田なんか受かるのか?」と不安になった。しかし翌日、もう片一方が特待生で合格していたことを知り、「まだまだ捨てたもんじゃないな」と思った。 2月の27日、早稲田の合格が分かった時は声にならない解放感が全身を貫いた。すぐに仕事先の父に連絡してみる。すると電話越しに聞こえる言葉は、「おめでとう」ではなく「ありがとう」だった。彼が何を言いたかったのか、自分なりに頭の中で整理した。そして、この五文字の意味を噛み締めながら、僕は今、早稲田大学商学部で学んでいる。 [推奨テキスト] 詳細に関しては掲示板で発言しております。是非ご覧ください。 英語:『英単語の王道2000+50』(河合出版) 『英文法・語法1000』(桐原出版) 『速読英熟語』(Z会出版) 『やっておきたい長文』シリーズ(河合出版) ほか多数 国語:『現代文キーワード読解』(Z会出版) 『読み解き古文単語』(Z会出版) 『最強の古文』(Z会出版) 国語便覧(学校で配布されるもので可) ほか多数 日本史:『実力をつける日本史100題』(Z会出版) 『眠れぬ夜の土屋の日本史』(オフィス界) 『過去問データベース』(東進WEBサイト) ほか多数 [メッセージ] 受験は、決して個人戦ではない。成績の良し悪しや合格・不合格に対して、自分自身と同じように泣き笑いしてくれる人が、必ず何処かにいる。メンツやプライドの為なんかじゃない。周りの人に、結果をもって還元することが、受験生の、そして人間としての使命だと思う。 今、あなたがサボれば、廻り回ってあなたの大事な人の「悲しみ」になる。だから、何が何でも頑張らなきゃいけない。 何処の学校、はたまた企業でも良いから、皆様方にとっての「理想の進路」を、たった一つ見出してほしい。そして、その選択に責任と愛着を持ってほしい。それが早稲田大学だったなら、本当に嬉しく思う。 バックナンバーに戻る |