• ニュース
  • イベント情報
  • 特集
  • インタビュー
  • ワセメシ
  • 授業情報
  • 受験生応援
  • アルバイトコンテンツは終了しました
  • リンク集
合格体験記

合格体験記Vol.38

【ペンネーム】とらふぐ


2013年3月 群馬県立太田東高校卒業 
2013年4月 早稲田大学人間科学部入学


早稲田大学を決めた理由


 早稲田に行けなかった父をどうしても超えてやりたかったから!
あとは早稲田の自由な雰囲気に憧れたから。


高校1年生


自宅の隣の市にある共学校に入学。 小学校5年生の時からずっと早稲田に入りたいと思っていたので、やっと早稲田に向けた勉強ができるという想いすら抱いていた。
ただ高校は行事が盛んな楽しいリア充高校を選んだので、早稲田の合格者は年に1人いるかいないかというレベル。
入学して早速担任から「うちの高校から早稲田は厳しいよ〜」と言われたのもあり、「今からぼちぼち頑張るか〜」と、朝早く来て1時間課題や授業の予習などをしていた。
ただ、勉強らしい勉強をするのはその時間と授業中ぐらいで、あとは友達と遊んではしゃいで…と大いに高校生活を楽しんでいた。


■高校2年生


2年生から日本史と世界史が始まるので、どちらかを武器にしようと考えていた。
ノート作りが好きだったことと(世界史はプリント形式だった)カタカナが覚えられなかったことから日本史を頑張ってみることにした。
勉強法についてはまとめて後述するが、一度武器にすると決めたからには徹底的に取り組んだ。毎回、日本史の授業後には頭痛がしていたぐらい。
この年、初めて早稲田祭に行った。とにかく人が多く、活気があるなあという印象。
早稲田祭後は「もっと勉強しなきゃ」という思いに駆られ、朝の勉強時間にプラスして放課後は毎日学校が閉まるまで勉強した。
特に英語については教科書レベルも理解できていなかったので、教科書の音読から始めた。
同時に予習として、分からない単語や熟語、文法、全てに赤マーカーをひき、下に意味を書いた。
教科書は真っ赤っかになったが、今まで退屈だった英語の授業が少しずつ分かるようになることが嬉しかった。

勉強ばかりしていたわけでなく、高校生活、むしろ人生で最も遊んだのもこの1年だった。
文化祭や修学旅行は思いっきり楽しんだし、夏休みはクラスで花火にカラオケ、プールにお祭りとほぼ毎日遊びほうけた。
週末になれば家を飛び出し、いつも門限ぎりぎりまで遊んでいた。
3年生からはこんな風に遊べない、と考えていたのもあるし、高校生活を受験勉強だけに染めたくないという思いもあった。

2年生が終わる頃の偏差値は国語が70、日本史が80、英語が47。
英語がヤバいなあと思いながら、他の2教科は順調すぎるほど順調に成績が伸びたこともあり、なんとかなるだろう〜と、そんなに悲観していなかった。
でも甘かった。想像以上にここからの1年が、大変だった。


■高校3年生


この年は最も足を引っ張っていた英語にかなりの時間をかけて取り組んだ。特に夏休みは勉強時間のほとんどを英語に注いだこともあり、秋ごろからは得点源になった。
しかし早稲田の問題となると手強かった。読めない、解けない、解けたとしても時間がかかる。
単語帳を変えたのが夏休み終わる寸前、と遅すぎたのもあって、「覚えられるんだろうか、受験に間に合うんだろうか」という不安でいつも泣きそうだった。
でも泣かないと決めていた。泣く時間さえもったいない、とまだ強気でいられた。

その頃から授業中になると腹痛が起きるようになった。1ヶ月、2ヶ月と続くうちに症状はひどくなり、授業中に先生の話を聞く余裕など全くなくなった。
椅子に座って授業が終わるまでなんとかやりすごすことしかできない日々が続いた。
一番頑張りたいときに頑張れない自分が情けなくて、やらなきゃいけないことはまだまだたくさんあって。
でも毎日毎日襲い来る腹痛が辛かった。
家に帰ってふっと気を抜いた瞬間に、父親から英単語の問題を出されるのも辛かった(今思えば父なりに娘のためを思っての行動だったのだろうけれど…)。
次第に頑張る気力は薄れ、友達の前で突然「もう早稲田なんか行かない」と号泣した次の日から、私は学校を休み続けた。
布団の中で一日中、「大学受験はやめる。高校ももう行きたくない。人生すらどうだっていい」と思った。

そんな精神的に不安定だった私を支えてくれたのが、友達だった。
学校に来なくなった私に「大丈夫?」「心配してるよ」などとこまめに連絡をくれた。
私の悩みも延々と聞いてくれた。1分1秒も惜しい時期のはずなのに私のために時間を割いてくれることが、本当にありがたかった。
「こんなに私を支えて応援してくれる友達がたくさんいる。私はやっぱり早稲田をあきらめるわけにはいかない」
父を越えてやる、なんて見栄じゃなくて、応援してくれる友達のために、そして何よりここまで頑張ってきた自分のために、早稲田に行こうと思った。


■センター〜直前期


センター試験の結果は次の通り。
国語  103点
英語  174点
日本史 91点

センター対策は授業内で済ませ、自分で時間をとって問題演習をすることはほぼなかった。
当日は緊張のあまり手が震え、時間配分もうまくできなかった。
特に国語は今までこんなにもひどい点数をとったことは無かった。

センターが終わった次の日から、私はまた国語の基礎から始めた。
現代文は精読と選択肢を丁寧に選ぶことを意識し、古典は単語をもう一度やり直し、主語を意識しながら慎重に読み進めていった。
直前だというのに、ここにきて日本史も大スランプに陥り全く得点できなくなった。
焦りに焦ってメンタルがやられかけたが、「基礎を忘れるな」と友達にアドバイスされ、今まで頑張って作ってきたノートを見直した。
英語も入試の前日まで英単語の確認をし続けた。
入試に行っても無駄なんじゃないか、今更基礎の確認しているようじゃ受からないし…と思ったりもした。
そんな時は「私は早稲田に行くんだ!大隈先生、私を早稲女にしてください!」と心の中で念じた。


■入試結果


早稲田大学文化構想学部 ×
第一志望、点数的にはボーダーラインだったように思うが、英語の一文挿入でしくじったのと、単語を詰め込んでいる状態で対策の時間が取れず、大問4を無対策のまま入試に臨み、白紙で出したことが大きな敗因だと思う。

立教大学観光学部(個別入試)○ 入学試験成績優秀者奨学金合格
受験だというのにおしゃれな人が多いことに憤りを隠せないままの受験だった(笑)。
「なんでみんな受験のときにオシャレしてんの!?こんな大学絶対来ない!私は早稲田に行くんじゃああああっ!」と思いながら問題を解いていた。
合格したのは、怒りパワーのおかげかもしれない(笑)。

立教大学社会学部(個別入試)×
受験3連チャンの3日目、また前日の観光学部の入試で「これは受かっただろ!!」という手応えを感じていたため、集中力は途切れがちだった。
ふわふわしたまま試験を終え、落ちたかな、と思った。

早稲田大学教育学部 ×
直前まで単語を詰め込み、また第一志望の文構の対策に追われていたためほとんど赤本も解けないまま挑んだ。
国語は手応えを感じたが、得意の日本史がイマイチだったこと、英語はもう分かんない!って感じだったので終わった瞬間「教育は落ちたな」と思った。

早稲田二連敗、心臓バクバクのなか電話をかけると、聞こえてきたのは「…おめでとうございます、合格です」の声。
「え!やった!受かった!」驚きのあまり呆然とするも、「都の西北」が自分の大学の校歌だ〜と思ったら、泣けてきた。
家族、先生、友達、私の合格を聞いたすべての人が、喜んでくれたことがうれしかった。

早稲田大学人間科学部…◎
苦手なりに英語に手ごたえを感じ、国語に至っては自己採点で満点近かった。
日本史でもう少し得点できたかなという思いもあったが、早稲田入試の中では一番出来が良かった!


■おススメ勉強方法


 塾には一切通わず、基本的には授業や課題を最大限生かして勉強しました。
進研ゼミは受講していましたが、問題演習に使うぐらい。

☆英語
長文:コピーをとる→分からない単語の意味や並びに赤マーカー、「これ前も見たけど今回も分からないなあ」って時には青マーカーを使い、下に意味を書き込みました(コピーした方に!!)。
音読は息抜きとして使い、書き込みが何もない原本の方をすらすら読みながら、すらすら訳せるようになるまで毎日読み続けました。
文法:こちらは直しを徹底。解説を書き込み、間違えた問題にはチェックをつけてとけるようになるまでやり直しました。
単語帳は1年から『システム英単語』、3年夏から『単語王』を使用。単語帳の切り替えはもっと早くにするべきだった。
参考書らしいものとしては『世界一わかりやすい早稲田の英語』を使用。これは本当にわかりやすいです。
あとは学校のワークや進研ゼミを使用。

☆国語
こだわりとして現代文も古典も最後まで、小学校で使っていた縦書きノートを使用。
行幅が広いので字が大きく書けて、見やすいノートが作れます。

現代文:現代文は授業中に先生とシンクロすることが大切、ってどこかで聞いたのでそれを意識していました(うおおおおここの考え先生と合ってる!みたいな)。
問題演習には主に進研ゼミ、時々『板野博之のターゲット現代文』『舟口のゼロから読み解く最強の現代文』を使いました。
現代文も用語集がありますが、授業内で結構テストをしてもらっていたので、そのための勉強を2年時からコツコツ。
あとは2年の冬に漢検2級を取得したのが地味に効きました。3年になったら漢字に時間をかける余裕は(私は)なかったので。

古典:1年から古典には力を入れました。予習として本文を書き、横に辞書を使いながらでいいので自分で訳をつける。
課題として出ていた品詞分解は毎回タイムリミットをつけてやっていました。
慣れてきたら訳も品詞分解も辞書を使わずに。
参考書は古文については『ゴロゴ』、『マドンナ古文』を2年の冬から使用。
3年からはゴロゴのCDをiPodに入れ、駅から学校まで口パクでつぶやきながら登校していました。
漢文は『早覚え即答法』を3年の冬から。学校でぶあつーい文法書が配られるかもしれませんが個人的には『早覚え〜』だけで十分でした。

☆日本史
一番ストイックに頑張った教科。「後で見直したとき、一発で理解できるノートづくり」に力を入れました。
授業中:板書はまる写しせず、自分にわかりやすいように噛み砕きながら書く。
並行して先生の話をなるべく拾ってメモ。時にはわかりやすいように漫画風に描いたりちょこちょことイラストを入れたり。
余裕があったら新出用語や意味の分からない言葉を辞書で調べて書きとめましたが、それは休み時間にすることが多かったかも。
ポイントは「日本史の用語集だけじゃなくて国語辞書も使うこと」。とにかくノートの中に意味の分からない言葉がないように。
帰宅後:日本史のゴロや覚え方のコツがまとめられたページを見て、必要情報をノートに書き込む。
テスト前:ノートを弟に渡し、ランダムに問題を出してもらう。わからなかった問題は答えられるまで毎日出題してもらいました(弟ありがとう)。
課題で出たワークは5周ぐらいしていました。その時間違えた内容や覚えにくいところはノートに青マーカーを引きました。
使っていたのは学校のワークや一問一答集、進研ゼミ。『早稲田の日本史』は2年冬からぼちぼち解いていきました。
日本史は用語を覚えても出題方法が異なると答えられなかったりするので、いろんな問題に触れるよう心がけていました。


■受験生へのメッセージ


恐ろしく長い文章になってしまいました。ごめんなさい。
最後まで読んでくれてありがとうございました。
どんな逆境も「これ乗り越えたら、わたしカッコイイ!」と思ってください。
今死ぬほどつらいかもしれないけど、乗り越えたら笑い話になります。
体調にはくれぐれも気を付けて。変だなって思ったら病院に行ってください。
そして「あせらない、あまくみない、あきらめない」で、最後まで強気で!頑張ってください。
早大生になった皆さんと、早稲田の杜で会えることを楽しみにしています。







バックナンバーに戻る

▲早稲田の杜TOPへ▲