合格体験記Vol.42 |
■早稲田を目指した理由・動機 大きく3つあるのだが、1つは私の尊敬している人や恩師に早稲田出身者が多かったということ。 また、自分の父も早稲田大学(結果として他大に進学したのだが)のことが好きで、憧れを持っているようであった。 こんなこともあり、中学生の頃からなんとなく「早稲田っていいな」という思いはあった。 2つ目に、早稲田の活気のある雰囲気に憧れたということ。 3つ目に、実はこれが最も動機として大きいのだが、私の高校の同級生が受験に関して最初から諦めていたということ。 そこで、自分は今までずっと負け続けの人生だったのだから、せめてここで見返してやろうと思った。 一番大きく見返したいなら目指すべきは東京大学であろうが、自分の学力ではたとえ浪人しても絶対に不可能であると感じていた。 京大や一橋も似たような理由であきらめた。 その他の旧帝大も、数学が致命的に苦手で嫌いな上に科目数が増えるので、狙うのには勇気が必要であった。 となると、自分ほど頭が悪くても努力で行けて、数学の必要ないところは早慶、特に入試が私大として標準的な形式の早稲田であった。 私大なので何度もチャンスがあるということも大きかった。 そもそも、自分の高校の生徒はほとんどが私大専願であるのにも関わらず、なぜかマンモス私大で絶対に不可能ではない早稲田をあきらめていたので、ある意味うってつけの受験校であった。 こうして高3になる頃には完全に「早稲田を目指す」という思いが固まっていた。 ■高1・高2 高1は勉強に関しては何もしなかった。 高2になっても全くもって「本気モード」ではなかった。 とにかく学校が嫌いで何度もやめようと思ったが、臆病なので決心がつかなかった。 ■高3 前述した通り、ロクな動機ではないのだが、決まったからには頑張るしかないと思い、小学校からずっと続けてきた演劇の活動もやめ、3年になってからは「本気モード」に入った。 塾(河合塾)に本格的に通い始め、なるべく前の方で受けるようにした。 特に古文の講師に感動し、その先生の言うことは全て言われるがままに実行した。 (具体的な所は古文の自分の学習法のところに後述する) 空いてる時間は予備校の自習室に籠った。夏休みや冬休みには朝から晩まで自習室に籠っていた。 (気分転換として散歩にはよく行ったけども) ここからは具体的な自分がやった勉強法について書く。 ■具体的な勉強法 ◎英語 最初はとにかく文法と語彙を何とかしなきゃいけないと思い、単語は『単語王2202』(オー・メソッド)、熟語は『解体英熟語』(Z会出版)、文法は『頻出英文法・語法問題1000』(桐原書店)をとにかく何度も繰り返しやっていた。 これは今から考えれば非常に良かったと思う。 私大入試は語彙力の勝負だと思うからです。 結局私が買った参考書や問題集類で最後までやり通したのは、この3つと世界史の実況中継(後述)だけだったように思う。 読解は、前半では一文一文の構造を正確につかめるようになるため、『ポレポレ英文読解プロセス50』(代々木ライブラリー)などを用いて、主述関係、品詞、句や節の関係を細かく理解しようとした。 後半には、早稲田と立教を中心に私大の過去問を大問単位で多く解き、速読力を強化しようとした。 そして時期に関係なく、やった読解問題は、答え合わせをして、文や段落や文章全体の構造や関係性をしっかりと理解した上で、音読を繰り返した。 これは正解でした。 ◎現代文 読解は時間を決めて取り組み、復習の際には、正解までの考え方を重視し、自分が誤答してしまった問題に関しては考え方がどのようにずれていたのかを考えた。 語彙や漢字は大事だということはわかっていたにもかかわらず、買った語彙の参考書と漢字の問題集はほぼ手をつけずに終わった。 これも秋からは早稲田と立教を中心に過去問演習。 ◎古文 とにかく塾の予習と復習が中心。 単語は、先生が基本単語についてプリントを配ってくれ「ここに載ってないものは文章の中で覚えていけばよい」と言っていたので、その通りにした。 文法もテキストに載っている自習用の問題くらいしか取り組まなかった。 読解も塾の教材の予習・復習がほとんどで、復習の際には先生が解説した文章と設問のポイントを意識した。 また、先生の言葉に従い、古文も最後は音読した。 秋からは早稲田と立教を中心に過去問演習。 ◎漢文 漢文は早稲田には頻出だが、自分はどうしてもモチベーションが上がらず、買った句法の書きこみノートも結局最初の数ページしかやらずに終わってしまった。 ただ、センターや早稲田の過去問は解いた。 ◎世界史 『NEW青木世界史B講義の実況中継』シリーズ(語学春秋社)を使って流れをつかみ、『実力をつける世界史100題』(Z会出版)で知識を定着させるという流れだった。 その勢いで、用語集の見出し語と説明を全て読もうとしたが、これは挫折し、結局東進の一問一答を空き時間や寝る前に少しやっていた。 秋からは早稲田と立教を中心に過去問演習。 と、こんな感じで勉強してるうちに、4月には模試で世界史偏差値44、古文0点とか取っていた自分だったが、9月ぐらいにはいい感じに安定し、その後の、河合の第3回全統記述模試や早慶オープン、代ゼミの早大オープンなどでは満足のいく成績が取れた。 そのようにしてとにかく勉強をひたすら続けた。 ■入試 <センター本番> 英語 189点 リスニング 46点 国語 176点 世界史 88点 <入試結果> 中央大学商学部経営学科 ○(センター利用) 明治大学情報コミュニケーション学部情報コミュニケーション学科 ○(センター利用)、○(一般) 早稲田大学文化構想学部 ◎(一般) 立教大学社会学部社会学科 ○(センター利用)、○(一般) 早稲田大学文学部 ○(一般) 早稲田大学教育学部英語英文学科 ○(一般) 早稲田大学政治経済学部政治学科 ×(一般) 早稲田大学商学部 ×(一般) ■おわりに ここまで私の拙い文章を読んでくださって誠にありがとうございます。 最後に、超個人的かつ主観的な大学受験と受験生に対するメッセージを書きたいと思います。 大学に入ってから思うのは、結果的に早稲田大学に入ったことは正しい選択でしたが、動機は明らかに間違いであったということです。 というのも、大学受験なんて人生の中においてはたいしたイベントではないし、偏差値なんてたいした意味はないと思うからです。 ましてや、大学受験で誰かを見返すことなんて到底できないと痛感しました。 もちろん大学に行くか行かないかの選択は大きな選択かもしれません。 ただどの大学に行くかは、たいして問題ではないと思います。 なぜなら、どの大学に入ったとしても、一番重要なのは「そこで自分がどれほど頑張ることができるか」だと思うからです。 そもそも「いい大学」とは何でしょうか。 それは「いい就職をして、いい人生を送るのに有利な大学」のことでしょうか。 だとすれば「いい人生」とは何でしょうか。 「いい学歴」を持ち、就活で成功し、お金をバリバリ稼ぎ、社会的な地位や名声を得ることがはたしていい人生なのでしょうか。 私はそうは思いません。 私が「いい大学」をしいて定義するならば、それは自分がそこの在学生・卒業生であることに誇りを持てることではないでしょうか。 私は誰が何と言おうと、今の大学と学部が好きだし、誇りを持っています。 しかし、受験勉強に一生懸命になることは、大学受験を経験する人間であれば誰もが必要なことだと思います。 それは、単なる偏差値や序列意識に基づくものならばすぐにやめた方がいいと思いますが、もし大学でやりたいことやその大学そのものに対して、純粋な強い気持ちがあるのであれば本当に素晴らしいことだと思います。 私はこれを読んでくださっている皆さんの希望が叶えられることを本気で祈っています。 、もし万が一(そんなことはないとは思いますが)それが叶わなかったとしても、大学受験では人生なんて決まりはしないし、若いのだからこれからもいくらだって人生を変えるチャンスはあると思います。 だからどんな結果になろうとも、そこで頑張ることが重要だと思います。 また、たとえどんな道に進むことになっても、受験勉強を頑張ったということは無駄にはならないはずです。 この拙い文章が少しでもそのためのお役に立つことができたなら幸いです。 バックナンバーに戻る |