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合格体験記

合格体験記Vol.43

【ペンネーム】セクガルさん


2015年3月 群馬県立太田女子高等学校卒業
2015年4月 早稲田大学文化構想学部入学


早稲田大学志望を決めた理由・時期


まず私には将来の夢があり、それは出版社に入ることだった。
ずっと買っていた雑誌をページのすみずみまで読んで、凝らされている細かい工夫を発見することが好きだったからだ。
もうひとつの理由は、私はジャニーズのグループ、SexyZoneが死ぬほど好きで、出版社に入ればインタビューできるかも!?と真面目に思ったからだ。
どうすれば競争率の高い出版社に少しでも入りやすくなるかを考え、都内の有名な私大に行くという答えを出した。
高校入学当初は、勉強があまり得意ではなかったため、法政大に行ければいいやと思っていた。
しかし、当時通っていた東進の先生や学校の担任の先生に「目指すなら上。上を目指して損はない」と言われたため、高1の夏前に、とりあえず第一志望は早稲田に決めた。
その後、母が参加したPTAの大学研修や大学のパンフレット、冬に参加したキャンパスツアーを通して、早稲田への憧れは強くなっていった。
本気で早稲田に行きたい!!と決めたのは、高2の春。
担任が大学や教育事情に詳しいN先生になり、いろいろな話を聞かせていただくうちに、早稲田、頑張ろうかな、という気持ちになってきた。
極めつけは、5月の河合模試でC判定を出したことだった。
先ほどのN先生は怖いことで校内でも有名だったのだが、その結果をほめてもらえたのだ。
このとき、頑張ればもしかしたら……と初めて思った。
結果的にこの先生との出会いが私の人生を変えることになるのだった。

高校1年


番号順の関係で、クラスの座席が窓際の後ろから二番目という、不真面目な生徒にはもってこいのすばらしい場所。
席が隣・後ろ・ななめ後ろの友達と四人で、授業中はずーっとおしゃべり。
各科目の先生の当て方はわかっていたので、自分の番が近づいてきたときだけ話を聞いて、それが終わったら安心しておしゃべり再開。
あとで聞くと、無自覚にも私の声はかなり大きかったようで、最前列の友達にも私の声は聞こえていたそう(笑)
夏休みは宿題だけは8月の頭にしっかり終わらせた。
8月後半は休み明けの実力テストに備えて勉強する予定で、学習合宿にも参加。
しかし、ただのお泊り会として合宿を満喫し、夜更かしのしすぎで代わりに勉強時間を睡眠時間にあてる羽目に。
さらに、合宿後はSexyZoneのライブDVDやコンサートに打ち込み、全く勉強せず。
その結果、休み明けの実力テストではなんと三桁の順位……。
これにはさすがに大ショック。
10月の中間テストで挽回しようと決心。
さらに、中間テスト期間にSexyZoneのCDが発売することがわかると、テストをすがすがしい気持ちで終えて最高の気分でCDを聞きたい!!と思い、やる気はますますアップ。
3週間みっちり勉強した結果、順位は想像以上に満足な結果で20番台に! 実力テスト受けたやつ私じゃないだろ状態。
ここで私は、「やればできる」ことを強く実感。
それ以来、定期テスト勉強だけは、真剣にやるようになった。
定期テストとSexyZone関連のことが毎回なぜか重なるので、それを何の気兼ねもなく満喫するために、テスト前は勉強に打ち込んだ。
ただし、相変わらず授業中=おしゃべりタイム&予習はいっさいしない。
3月の駿台模試の結果は早稲田E判定。
春休みには代ゼミで早稲田に特化した現代文の授業を受けたのだが、まだ早すぎたのか、何も得られなかった。

■高校2年


クラスが変わったが席は窓際最後尾というこれまたすばらしい場所。
しかし、まわりの席の友達は普段は部活で忙しいため授業は真剣に聞くという子ばかり。
しかも、去年とは打って変わり、予習復習は完璧にこなし、授業もまじめに聞くようになった。
成績もおかげでぐんぐん上がり、まわりから努力家!!と尊敬されるまでに。
夏休みはなぜか、「私は人より早く始めなきゃ間に合わない!!」と意気込み、基礎を完璧にしようと2年生にしてはかなり勉強した。
これはさすがにやりすぎで、すぐにバテてしまったが、その甲斐あってか8月河合模試で早稲田A判定が出た。
しかしなかなか順調にはいかない。
現代文で偏差値30〜48を連発したことが響き、成績は再び下がっていった。
これにはN先生も心配し、わざわざ声をかけてくれた。
とても悩んでいたため、先生の前でまさかの号泣。
結局、現代文は2年生から、最大の苦手科目となった。
2月の駿台東大レベル模試の判定はCだった。

■高校3年春


私のクラスは新設の私文クラスということもあり、3年になって即受験生モードに切り替えということにはならなかったが「私は目指すところが違う!!」と自分に言い聞かせ、うぇいうぇいモードなクラスに呑まれることはなかった。
ななめ後ろの席の友達も早稲田志望で、こつこつ頑張る派だったので、勝手に闘争心を燃やして頑張った。
6月に、英検準一級を受けた。
実は1月にもノー勉で受けたのだが、今回は本当に受かりたくて、かなり勉強した。
しかし、あと3点のところで一次不合格。
なんだか早稲田に落ちたかのような気持ちになり、すっごくショックで、一週間英語の勉強をやめた。
この頃の勉強時間は、平日4時間、休日8時間くらい。
模試の判定は、日本史で大幅に稼いでいたためBかCだった。

■夏休み


新宿の代ゼミタワーで早稲田に特化した現代文と英語の長文・文法を、高崎の代ゼミで古文を受講した。
ここですごく良かったのが、酒井先生の現代文。
目からうろこの考え方を教わり、このときだけ現代文が好きになりました。
早稲田の現代文もかなりの正答率で、モチベーションもアップ。
夏期講習以外でやっていた勉強は、@現代文・古文・英語の長文を一日一題 Aネクステで文法の反復(眺めたり書いたり) B日本史の教科書読み込みと、全範囲を終わらせること。
@に関しては、代ゼミ早大プレの過去問題集や赤本から選んで解いていたが、ここで失敗だったのが赤本をやりすぎたこと。
秋になってやることがなくなってすごく悩んだので、夏休み中は多くて3年分くらいにとどめておいた方がいいと思う。
もちろん、問題傾向の確認はしっかりと。
一日の勉強時間は前半11時間(夏期講習の期間は電車の中で参考書をめくって、ちゃんと11時間になるように頑張った)。
前半はテレビも見ていたし夏期講習の帰りにコンサートにも行ったが、私は夏期講習など、授業がある日以外は塾や予備校に行くことがなかったため、他の受験生がどれくらい勉強しているのかわからず、「みんなはもっとやっているのではないか」というものすごい恐怖に襲われ、後半は12〜14時間に増やし、テレビも観なくなった。
勉強時間を増やすためにはやることも増やさなければいけないので、何をすべきかわからなくなりこれまたすごく悩んだ。
結局、英語の長文をもう一題増やしたりした。
夏休みは受験生にとってすごく重要だとよく言われるため、自分がやっていることは正しいのか、量は足りているのかとずっと不安でした。
もし勉強方法が間違っていたら落ちてしまうんだ、と思うと夜もあまり寝付けませんでした。
代ゼミの早大プレは、前日になぜかほとんど寝付けず、睡眠不足で受け、手ごたえもなかったが、まさかのB判定だった。

■秋


私には毎年、秋になると成績がダウンするというジンクスがあったため、ずっと不安だった。
それに加えてこの秋は辛いことが多かった気がする。
ひとつは、ななめ後ろの早稲田志望の友達が、推薦で早稲田法学部に受かってしまったこと。
私は高1の成績が微妙なため、出願すらしなかったが、精神的にすごくすごく堪えた。
その子はなぜか、もう受かっているのに朝早く来て勉強したり、昼休みも参考書を見ながらお弁当を食べていて、「どういうつもりなんだろう」と、かなりのダメージを私に与えた。
辛くて辛くて母にかなりあたってしまったが、最終的には「一般で受かるほうがすごいんだから気にしない」という結論になんとかたどり着いた。
ふたつ目は、夏に頑張りすぎて、モチベーションが下がりまくりだったことだ。
あとになって、まわりの子は夏に自分ほどはやらなかったため、秋からエンジンを入れなおすということがわかったのだが、私はヘトヘトで、何をすべきかわからなくなって勉強も本当に嫌でほとんど集中できなくなった。
10月から休日は朝から塾の自習室に通うことで、これは解決した。
朝塾に行って夕方まで勉強したら家に帰り、夕飯を食べてからまた勉強というスタイルを作ったのだが、これが私にあっていて、最後までこれを保った。
模試の判定は、BかCだが、第二回代ゼミ早大プレではD判定。
しかしその一週間後に受けた河合塾早大オープンではA判定で成績優秀者として名前まで載ってしまった。
判定の違いにけっこう戸惑った。

■センター試験について


学校+塾+冬休みに買った参考書で、わりときちんと対策した。
日本史は満点を狙うも手ごたえがなく、国語は全くわからずすべて勘、英語も微妙。
最悪の出来だ、センター利用もどこも受からないし、ましてやMARCHや早稲田なんて無理だ……と大ダメージ。
センターの翌日は自己採点もせずに塾の自習室へ行ったが、センターのショックで全くはかどらず。
その日泣きながら帰宅すると、見かねた母が勝手に採点していたことが判明。
するとなんと自己最高得点に近かった。
これは本当に謎だが、あのときのいろんな意味での驚きは忘れられない。

英語筆記188点 リスニング36点 国語164点 日本史92点

■早稲田大学文化構想学部 本番


前日はホテルに泊まり、母には夕飯を食べ終わるまで一緒にいてもらった。
母が帰るとき、手と手をつかみ合って、最後の激励をしてもらった。
当日の朝は、滑り止めやセンターの時と比べてよく眠れ、体調もよく、緊張という緊張もあまりしなかった。
教室の席が、高校の教室とほぼ同じ位置で後ろから二番目窓際だったことも、「ついてるぞ私!!」と励ます要因になった。
まずは英語。
そこまで悩む問題もなく、一番心配だった最後の要約も、まあまあ満足に書けた。
この調子で行こう、と苦手な国語。
文化構想の特徴である文語文は、古典が得意な私にとってはありがたかったのだが、その部分はほとんど現代語の文章。
大ショックな上に、次の大問もまったくわからず、勘で回答。
さらに不運は重なり、得点源の古典は、あまり得意ではない随筆+方丈記。
実は代ゼミプレの問題が的中していたのだが、その模試も古典で失敗して最悪だったため、まさに悪夢再び。
ほとんど得意な古典で、なぜピンポイントで苦手分野が出てしまったのか……。
緊張も焦りもそこまでなかったのに、全然わからない。
自信のある問題は文学史だけという状態で国語終了。
残りは得意な日本史だが、配点の低い日本史では補えないほど大失敗してしまった国語のことで頭はいっぱい。
しかし、ここで最後の秘密兵器出動。
SexyZoneの曲。
本番前に緊張をほぐすために聴こうと思っていたが、そこまで緊張しなかったため、使っていなかった。
受験勉強の間、ずっと支えてもらったSexyZoneの曲を聴くと、気持ちがかなり楽になった。
文化構想にはもう受からない、と思いながらも、国語のショックを引きずらずに日本史の試験を終えることができた。
ちなみに日本史は、自分がやった部分が的中しまくりでみんながわからなそうな難問も解けたので、国語の大コケが余計に悔しかった。

■受験結果


東京女子大学現代教養学部 人間コミュ学科……センター利用で合格
青山学院大学総合文化政策学部 総合文化政策学科……センター利用で合格
明治大学文学部文学科文芸メディア専攻……センター利用、全学部統一入試で合格
立教大学社会学部メディア社会学科……全学部統一入試で合格
早稲田大学文化構想学部……合格
早稲田大学文学部……合格
早稲田大学教育学部社会学科社会科学専修……合格
早稲田大学商学部……合格
早稲田大学社会科学部……棄権

早稲田の試験は他にも残っていたとはいえ、やっぱり第一志望はダントツで文化構想だったため、試験が終わった日からはすごく落ち込んでいた。
勉強はしてはいても集中力は全然なくて、早稲田の他の学部も道連れで不合格は目に見えていた。
しかし、ただならぬ落ち込みを見た両親が、またしても勝手に採点していたことが、文学部受験のホテルに行く前日に判明。
結果は、英語ぼろぼろで国語が赤本も含めて今までで一番よいという、手ごたえとは正反対だった。
国語ができていたのは安心したが、自信のあった英語ができていなかったのはショックで、文学部・教育学部の試験でも引きずってしまった。
文化構想発表の前日、絶対に不合格と思い続けていたのに、急に受かる可能性もあると思い始めた。
そして結果発表。
リビングで、母に隣にいてもらって電話をかけた。
最後のボタンを押した直後「おめでとうございます」の音声。
嬉しいというよりほっとした気持ちになり、第一声は「よかったーー!!」だった。
母は私が声を発する前に表情で合格を察したらしく、すぐに「おめでとう!!」といってくれた。
受験したところはすべて合格できたわけだが、自信のある試験はセンターも含め、ひと なかった。
特に明治の全学部はまったく手ごたえがなく、マークシートを読み取る機械 が壊れない限り、100%不合格だと思っていた。
英語なんて、まさかの時間ぎりぎりに勘を駆使してやっと一回目が解き終わったので、見直しは全くできなかった。
ちなみに商学部は、ぎりぎりで受けることを決めた&受験日は文構の発表の後だったため、対策不足と浮ついた気持ちのせいで他の学部よりさらにぼろぼろだった。

■おススメテキスト、参考書


◎国語
現代文はほんっとうに苦手で、好きになれないまま受験生を終えた。
高1のときまで、現代文はフィーリングで解くものだと思い込み、そこそこ点数もよかったのだが、2年になるとまったく通用しなくなった。
あの先生のおかげで、いかに現代文をなめていたか、現代文がどれほど重要なのかを知ることができた。
それが高3になってからだと手遅れだったと思うので、高2で先生に出会えて本当によかった。

「酒井の現代文ミラクルアイランド」
私の現代文を救ってくださった、もう一人の先生の参考書。
これと代ゼミの夏期講習、そしてN先生の個別添削指導がなかったら、今頃どうなっていたことやら…… 古典は、古文も漢文も慣れが大事。
基礎事項をひととおり終えたら、なるべく多くの文章に触れるといいと思う。
ありがちな話やお決まりパターンに気づくと楽しくなってくるし、かなり楽だと思う。
現代文は他にも「現代文読解力の開発講座」という参考書も使用。
「代ゼミ早大プレ過去問題集」N先生にすすめられて購入。
赤本だけだと足りない気もするので、早稲田の形式に慣れるにはよい。
3〜4周した。

「古文単語565」
ひとつの意味しか覚えられないという批判もあるが、逆に言えばひとつの意味はほぼ確実に覚えられるということ。
ひとつの意味も他の意味も語呂に頼らず丸暗記しなければいけない他の単語帳と比べて考えると、使える単語帳だと思う。
おすすめは全イラストつきの白い表紙の。
イラストを見るとイメージで記憶に残りやすい。

「読み解き古文単語」
ソクタンの古文バージョンといった感じで、文章を読みながら単語を覚えるという形式。
私は古文が好きだったので購入したが、買わなくてもいいと思う。
しかし、この単語帳で取り上げられた文が、赤本や模試に出たこともあった。


◎英語

「速読英単語 必修」
学校で勝手に買われた(笑)
高2の夏休みまでに2周、その後学校でテストがあったのでもう1周やった。
高2のうちにだいたい完璧にした。

「英検パス単 準1級」
もともとは英検のために高2の冬に買ったが、最後まで使った。
あまり周りで使っている人がいなかったため、別のものに乗り換えようか、何度も何度も悩んだ。
英単語帳はどれも大差はないとよく言うが、信じられなかった。
しかし今思うと、それは事実だった。

「NextStage」
これも学校に勝手に買われたのだが、高1のころは分厚さにおびえて一度も開かなかった(笑)
高2の夏は学校でもらった「GrammarCollection」という薄めの文法書を二回ほどやり、ネクステは高2の秋に初めて開き、その後は繰り返しやった。
書いたり眺めたりしたが、まわりの受験生に比べてあまりぼろぼろにならなかったことが、少し心残り(笑)

「代ゼミ早大プレ過去問題集」
国語と同じ使い方

自作の単語帳
ルーズリーフに縦線を引いてページを半分にし、英単語の「下に」意味を書いた。
これは高校の英語の先生の教え子で東大に行った人の方法を真似したのだが、意味を英単語の横に書くと目の動きが忙しくなって効率が悪いので、この方法を編み出したそうだ。
これはすごくおすすめ。
また、このルーズリーフにはよく出る熟語や、どうしても覚えられないイディオムをSexyZoneに関連付けた文章と一緒に書いた。
ルーズリーフは専用のファイルに綴じた。


◎日本史
ポイントは二つ。

@ 教科書で基礎・標準レベルは完璧にすること。
私は日本史の授業が始まった高2のときから定期テストにあわせて少しずつ暗記していたので基礎・標準レベルではほとんど苦労しなかった。
私は参考書にはほぼ手を出さず、教科書だけを読み続け、あとは図説や史料をぼんやり見ていた。

A 早稲田の傾向をつかむこと。
ネットで、「早稲田は同じ問題や類題を繰り返しだす、学部の垣根を越えて似た問題を出す、教科書信者になることがカギ」という情報を仕入れ、これをそのまま信じた。
そしてこれは嘘のような本当の話だった。
国際教養以外の赤本はすべて7年分解き、何度も見かけた単語や事柄を挙げて詳しく調べ、専用のノートにまとめた。
本番でかなり的中したので、みなさんにもおすすめ。
唯一使った参考書は、「石川の実況中継BC」。
冊子は夏休みに教科書を終わらせるために使い、そのあとは使わず。
CDは毎日繰り返し聴いた。


■最後に/メッセージ


私はもともと神経質なこともあり、本当に本当に、いつも不安でした。
大大大好きなSexyZoneのためだとは言え、何度も何度も勉強をやめたいと思いました。
モチベーションを上げるのがそれほど得意でもなかった私がなぜ最後まで頑張れたのかと考えてみると、意地と家族、という答えにたどり着きました。
定期テスト勉強も含め、今までやってきた勉強が、ここでやめたらすべて形も残らないまま消えてしまう、自分にそのようなことを何度も言い聞かせ、なんとか持ちこたえてきました。
そして家族。
夏期講習や参考書のお金、送迎、そして何より励ましの言葉。
特に母には何度もイライラをぶつけ、返答に困るような質問を繰り返したりと、すごく迷惑をかけました。
そんな私を最後まで応援してくれた母に、早稲田に受かって少しでも恩返しをしたい、その気持ちが一番大きかったと今では思います。
私は諦めが早く、特技のない自分が嫌いでした。
しかし受験を通して、縁もなかった負けず嫌いという要素が生まれました。
そして、まわりの協力も大きいけれど、成功をつかみとれた自分を好きになれました。
だらだら書いてしまいましたが、最後にひとつだけ。

努力は成功の大きさに見合う分量を積み重ねれば、必ず報われます。
報われなかった……という場合、きつい言い方だけれど、努力が足りなかったのだと思います。
手ごたえゼロなのに受かったのも、緊張をあまりしなかったのも、今までの頑張りの結果が現れてくれたのだと私は思っています。
初めて、努力という、自分が誇れるものができました。
受かったあとは、早稲田なんて対したことないとまで思えてきました(笑)
私は悩んでいるとき、早稲田の合格体験記を何度も読み漁って、自分の支えにしていました。
キザだけど、今度は私がこれを読んでいるあなたの支えに少しでもなれたら幸いです。

あなたが合格しますように。





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