2005年 愛知県立千種高等学校卒業
2005年 名古屋予備校入校
2006年 明治大学政治経済学部経済学科 入学 同年11月 中退
2007年 早稲田大学人間科学部情報学科 入学
Contents
■高校1~2年
地元の有名公立校に入学すると同時に、メグとカナに憧れてバレーボール部に入部。筋トレが生活の大部分を占めるようになり、プロテインが主食となって、筋繊維の崩壊と再生を目的とした毎日であった。
それに伴い、脳ミソは筋肉化し、学力低下。
得意科目は体育で、苦手科目は体育以外と自他ともに認める筋肉バカとなった。 高2の夏に、地元の友人に「プロテインよりこっちの粉の方が筋肉つくよ」と言われ2.5g程の粉末を購入しそうになったが、所持金206円で金がなくボコボコにされただけで助かったこともあった。
■高校3年
筋肉だけではバレーボールでの飛躍的な活躍はできず、県大会2回戦というまぁまぁな成績で引退。
周りは受験勉強モード一色になったが、その流れに逆らいたいというアウトロー的な考えで、ろくに勉強もせずに気づけば10月。
人生で初めて受けたセンター模試で偏差値28を叩き出す。動詞のexpressを「特急」と訳す始末だった。
なんやかんやで11月。そろそろやばいなぁと気付き本格的に勉強開始。
塾には行かなかった。
どうせ目指すなら尊敬する兄貴がいる私大最高峰の早稲田だろうということで、目標を早稲田に設定。
そして2月、まぁ受かるだろうと思った法政大と明大がまさかの不合格。無理だろうなと思った早稲田も案の定不合格。
大学の壁はこんなにも高いものなのかと落ち込み、就職も視野に入れて進路を選ぶことにに。
そんなとき、粉を紹介してくれた地元の友人が予備校に行くと聞いたので、一緒に行くことを決めた。
■1浪時代
週3日制予備校という訳の分からない予備校に入校。マイナー予備校なだけに周りの連中はやる気ゼロ。
そんな連中に流され自分もやる気ゼロに。
予備校に行っては隠れんぼをする。そんな生活が6月まで続いた。
やがて一緒に入校した友人が肩がぶつかっただけでケンカをし、退学。
このままではまずいと気付き一念発起し、真面目に勉強する事に。
目指すは早稲田。
自分でも信じられないくらいに勉強をし、模試で早稲田の判定がCに届くほどになった。
1月。
本番1ヶ月前ということもあって精神的に不安定になり、体調も最悪。
予備校の壁に卑猥な言葉を書く事が唯一のストレス解消となっていた。
■1浪・受験
そして2月、本番を迎え緊張感MAX。
早稲田の他に法政大、明治大、学習院も受験した。
余裕で受けた法政大がまさかの不合格。
明治大受験中に粉の友人が勝手に結果を見て僕に報告。
パニックになり、集中力が切れたが明大にはなんとか合格。掲示板に自分の番号があった時は兄貴と抱き合った覚えがある。そして学習院も合格。
この流れに乗って早稲田受験。これは行けるぞ! と思ったが、願い虚しく全学部不合格。
大隈さんは自分を嫌っているんだなと無理やり思い込み、渋々明治大学に進学することを決めた。
■明治大学進学、そして早稲田再々受験
田舎からコンクリートジャングル東京に上京し、明治大に進学。
バイトと大学で何かと忙しい日々が始まった。
大学では友達もでき、新入生歓迎コンパでバカ騒ぎ。新宿東口で起床したこともあった。バイトも楽しく、充実した生活を過ごしているように思えた。
悩みといえば、兄と二人暮らししていたため、兄が彼女を連れてくる時は僕は家から追い出され、男くさい友人の家に泊まりに行かなくてはならないという事だけだった。
兄との間ではX-dayと呼んでいる(ちなみにこれは今も続いている)。
しかし心の隅では早稲田に行きたかったと未だに思う自分がいた……。
そんな僕に人生の転機となる出来事が起こった。
それは11月に友人に誘われ、早稲田祭に行ったことである。
なんといってもあの人数、そして早大生の紺碧の空を歌うあの迫力、勢い、笑顔。
それらをみると、自分がかつて目指していた理想の大学像がやはりそこにはあった。そこで決意した。
「やっぱり俺は早稲田に行きたい!! 早稲田で最高の四年間を過ごしたい!!」
昔から決断したら即実行に移す猪突猛進の性格だったから、次の日に明大に退学届けを出し退学。
母さんは「お前さんの人生なんだから後悔ないように思い切りやりなさい」。父さんは、「絶対次で決めてこい!」と。
……何て優しくて理解のある両親の元に自分は生まれてきたのだと改めて感謝したと同時に、絶対合格しなければ、 というプレッシャーが恐ろしいほどかかった。
僕の壮絶な戦いの日々の幕開けである。
■2浪・春〜夏
親に甘えたくなかったし、気持ちが折れそうになったらいつでも早稲田を見に行けるように、実家には帰らず東京にとどまることにした。
一浪したから多少の余裕があるとはいえ、とにかく時間がなかった。
まず、過去問を五年ほどやり弱点を炙り出し、最短距離で受かる為に何が必要かを割り出した。そして手帳に1ヶ月、1日のスケジュールを細く記入し、ノルマを達成したものから斜線をひいていくことにした(これはかなりお勧め!)。
予備校は下宿先から電車で10分ということもあり、代々木ゼミナールにした。
とはいえバイト代で早大現代文を受講したくらいで、ほとんど自習室を使いに行っていたようなものだ。
わからない所は塾生のふりをして講師に質問しまくった(お金がほんとになくて……)。なかでも古文の先生はかなり親切で、僕が受講していないのを知っていながらも勉強の指針を教えてくれたり、添削をしてくれた。
ちなみに先生の勉強方針である、「自力本願本番頂点、過去問分析で相手を知りそこから己を知れば百戦危うからず」は全ての教科に通じ、4ヶ月しかなかった自分は本当に助けられた。
生活面も改善した。
朝5時に起床、自習室へ。それから夜9時まで勉強し、帰ってきてからは何もしない兄貴に代わり炊事、洗濯、掃除をするという生活が続いた。
泥酔状態で帰ってきた兄貴に携帯を踏まれ、液晶が壊れたこともあった。笑いながら謝る彼には心底腹がたった。
また、兄の親友であり僕の第二の兄である先輩がしょっちゅう家に来ては荒らして帰って行った。
全裸で洗濯機に入って僕の帰りを待っていたこともあった。
そんな彼らだったが、僕が精神的にやばくなると調子はどうだ? と尋ねてくれたりとか、一緒に受験計画をたててくれたり、飯を食べに連れてってくれたりと何かと気配りをしてくれた。
これだからついつい日々の悪行を許してしまう。
今考えればそれが息抜きにもなっていたのかな、と思う。
■2浪・秋
11月からは本当に一人だった。
話すとしたら朝兄貴に「おはよう」か、コンビニの定員に「あ、袋、いいです」という会話とも言いがたい会話くらいだった。
そんな僕を支えてくれたのは、ダニエル・パウターの『BAD DAY~ついてない日の応援歌~』だった。毎日ついてない僕を彼は励ましてくれた。
長い付き合いである友人につらい時には話し相手になってもらい、励まされた。彼らは、孤独な自分に何度もやる気をくれた。
本当にいい友達を持った。自分はなんて幸せなんだ、決して一人ではないんだと心から思ったし、もちろん今でも思っている。
■2浪・冬
2浪生活で一番の思い出がクリスマスイブだ。
こうなったら人生で一番悲しいクリスマスイブにしてやろうと決意し、塾が終わった後、一人で鍋をした。
その後AVを借りようとTSUTAYAへ勇み足でいったところ、カウンターでカードを兄貴に貸したまま返って来ていないことに気づき、断念。
帰ろうとした時、店長に「もしよければお取り置きしておきましょうか」と言われた……穴があれば入りたかった。AVのお取り置きなんて恥ずかしくて出来るか! と丁寧にお断りした。
それ以外は勉強漬けの毎日だった。
■2浪・年明け〜受験直前
過去問は古本屋からかき集め全学部あわせて50~60年分はやった。
とにかく誰よりも早稲田対策をしたといえるくらいした。
そんな感じで勉強を続けた結果なのか、年明けに突然英語、古文、現代文が覚醒。やっと合格点に達するようになった。
この調子でいければいいと思ったが、うまくいかないのが現実。
2月に入ると、押し殺されそうな不安が毎晩就寝時に押し寄せ、ほとんど寝れなくなってしまった。
受かれば天国、落ちれば名古屋へ都落ち……。2月はこればかり頭の中で考えていた。
そんなとき、またもや兄貴に助けられた。
「誰もお前に勉強しろだなんて言ってないだろ? つらい道を選んだのは他でもないお前だし、ここで諦めたらまた悔しい思いするのもお前なんだよ。嬉しいことには苦労はつきもの。苦労なしに喜びはないよ。努力した奴にしか成功はないんだよ。まぁ、ここでやめても俺は何も言わないけどな」
――この言葉で最後のスパートをかけることができた。
くだらない事を考える暇があったら、合格の可能性を少しでも高めるためにとにかくがむしゃらに勉強した。
■2浪・受験
そしてついに、2月19日から早稲田との勝負が始まった。
これだけやったんだ、落ちるはずがないと意気込み突撃!
最後の受験ということもあり、バイトでためた金、貯金を全てはたき、さらに親からの援助もあり、怒涛の6連戦に挑むことにした。
しかし、そんな意気込みむなしく全学部手ごたえがなかった。
最終日の社学の試験が終わったあと、悔しくて1人で大泣きした。
とにかくこれで僕の早稲田への挑戦は終わった。正直諦めきれなかったが、もう1回挑戦するという甘ったれたことはできないことはわかっていた。
今にも死にそうな空気をまとったまま名古屋に帰郷。
合格発表まで1週間。家族みんなが暗かったのを今でも覚えている。
ご飯も全く喉を通らなかった。
教育学部と人間科学部の発表を翌日に控えた日はじっとしていられず、プリズンブレイクseason1を全部借りてきて徹夜で見終え気を紛らわした。
■受験結果発表
そして迎えた人科発表の11時。家には自分一人……過去2年間、電話のあの女にさんざん浴びせられた「残念ナガラ不合格デス」のアナウンスを聞かなければいけないと思うとなかなか受話器に手が伸びなかったが、意を決して電話した。「オメ……」マジでビックリして切ってしまった。
お、おかしい、今日のあの女おかしい。
聞いたことのないアナウンスだったから、訳が分からなかった。
もう1回かけてみる……「オメデトウゴザイマス、合格デス。繰リ返シマス。オメデトウゴザイマス……」
無意識に涙がこぼれ落ちてきた。今までの苦しみが一気に吹き飛んだ。
とにかく嬉しくて嬉しくて泣くことしかできなかった。
急いで母さんに電話した。
「母さん受かった! 受かったよ!!」
仕事中にも関わらず大声で「ホンマか、ホンマなんか!」と叫んでるのを聞いてまたもや涙がでてきた。
残りの5戦はいつものあの女が心地よく不合格のアナウンスをいつものようにしてくれた。
正直もうどうでもよかった。
3年間恋焦がれて追いかけ続けた早稲田に行ける、それだけでよかった。
こうして僕の3年に及ぶ受験生活が終わった。
■勉強法
○英語
単語は1浪時から使っていた「単語王2202」をボロボロになるまで使い込んだ。 何回やればいいとかはなくて、試験直前まで何度も見返すのがいいと思う。
熟語も同じく1浪時から使っていた「速読英熟語」だ。これは毎日英文を音読するために使った。これも同じく直前まで何度も読み返した。
文法書は「フラッシュ英文法1、2」を使った。これは人間科学部対策がメイン。
一問一問がカードになっていて問題を順番で覚えてしまうことがないように工夫されているので、実力が試せてよかった。またカード式なので持ち運び便利で、移動中や昼ご飯、休憩の時間に何度も見返した。
長文の参考書は佐々木和彦の「英語長文が面白いほどとける本」で、読解技術を徹底的に叩き込んだ。これと同時進行で過去問をひたすら解いた。問題をコピーし、長文で出てきたわからない単語、構文を書き込み、それを毎朝毎晩音読した。音読は英語ができるようになるためにはマスト。大げさかもしれないけど、声が嗄れるくらい読んでもいいと思う。
あとは新しいことは一切せずにひたすら復習をしまくった。
現役と1浪時の自分がそうだったからよくわかるのだが、伸び悩んでいる人は、あれこれ色んな参考書に手をつけすぎて、結局どれも中途半端で結局自爆っていうパターンになっていると思う。
自分がこれだと信じたらその参考書に書いてあることを10あったら6吸収するんじゃなくて、10吸収することが大事なんだと2浪でやっと気づいた。
2浪しないようにみなさんは今から変えていきましょう(笑)
○国語
現代文は代ゼミの酒井先生に教えていただいたことをそのまま実践した。授業でやったことは絶対に復習した。過去問も平行して進めた。
古文単語は「ゴロで覚える古文単語ゴロゴ565」だけだった。人によって合う合わないと意見が分かれると思うが、自分にはかなり合っていたので愛用した。
長文読解は代ゼミの元井先生の参考書に書いてあることを過去問で実践した。
このやり方はマジでお薦め。
漢文は「漢文早覚え速読法」(イガ読み)と過去問しかやらなかった。
○政治経済
「陰山克秀の政経がおもしろいほどわかる本」を5回ほど繰り返したら、すぐに過去問で演習に入った。政経はずっと参考書にかじりつかずに、演習を通して記憶していった方が効率がいいと思う。
それに早稲田の問題は過去問と同じ問題が連発するので過去問演習はマスト。
他にも明治大学、法政大学、日本大学、センターの過去問で参考書に載っていないところ、知らないことがあったらそのつど参考書に書き込んでいき、自分だけの参考書を作った。
これで7割はいくと思うが、政経で厄介なのは時事問題だ。こればかりは独学は難しかったので、冬季講習で時事講座をとった。
あとはこれを復習して自分のものにすれば、政経はまず大丈夫だと思う。
■最後に
長々と読みにくい文章を書き連ねてしまってすみませんでした。僕から受験生に言いたいことはただ一つ。
自分に嘘をつかず、諦めずに、ひたむきに努力をし続けさえすれば、早稲田は絶対に迎え入れてくれます!
大丈夫!
偏差値28だったドアホでも今早稲田にいるのだから(笑)
本番まであと少し。悔いのないように、全力で自分と向き合って頑張ってください。陰ながら応援しています。