――宮本先生のご経歴をお教えいただけますか。
はい。僕は小学生の頃から、いわゆる「落ちこぼれ」「いじめられっ子」でした。勉強も出来ず、体も弱かったので。もう学校には嫌気がさしていて、中学校を出てからは建設会社に就職しました。その後ひょんなきっかけから物理に目覚めて、高校受験をし、さらには国立大学を目指すことになった。そして現在は私立豊川高校で数学を教えています。
――建設会社では何をされていたのですか。
いわゆる大工です。そこでは仕事に対する意識というものを学びましたね。
――仕事に対する意識というと?
例えば大聖堂を作っている職人さんが三人いて、誰かがその一人に「何しているの」と聞いたとします。
そうしたら「ああ、これはね、レンガ積んでるんだよ。時給1500円なんだ、いいだろう」と答えた。二人目の人にも同じ質問をしたら、「木を切っているんだ。きれいに長さを整えて切って、ここに張るんだよ」と答えた。そして最後の人物は「僕はね、美しい大聖堂を建てているんだ」と答えた。
その返事の仕方って言うのが仕事に対する考え方そのものを表していて、例えば一番最初の職人さんだったら「仕事が楽なのかどうか」「それに対する対価としてのお金」に目先の関心が向いている。二番目の職人さんは確かに目の前の仕事をきれいにこなそうという意識はあるけれども、それが自分は大聖堂を建てているんだというところまでは到達していない。三番目の職人さんはレンガを積んでいるんだか木を切っているんだかそれは分からないけれども、自分は美しい大聖堂を作っているんだという認識は持っている。
僕が大工を始めたころは、五時になると仕事が終わるので、ただ五時になればいいやと。ちんたらやって、はい五時だ、帰ろうという感じでした。でも会社の上役との関係で、その意識が変わったんです。会社の社長や会長、専務が僕の身の上の事も理解を示してくれて、すごく大切に扱ってくださった。
最初はお金がちょっと貯まったら辞めようと思っていたんだけど、こんなにお世話になっておいてそれは人としてまずいだろうと。恩を返さなきゃいけないよなと思い始めた。だからこう段々仕事に真面目に打ち込むようになっていって。打ち込んだらその分評価をしてくれる。直接であり、遠まわしであり、その人間って認められたり褒められたりすると嬉しいわけですよ。で、また頑張ろうという気持ちが強くなって。そうすると前までは石ころ蹴とばして五時になるのを待っていたんだけど、今度は「五時までにはここまで終わらせよう」「汚い仕事ではなくて綺麗な仕事をしよう」という意識が芽生えてきて。すると次は「家を建てているって何だろう」と考えるようになりました。家って一生に一度くらいの大きな買い物なわけですよね。しかもそこに住む人たちの人生の歴史の一ページになるわけなんです。ということはある意味その人たちの歴史を作っている、歴史造りのお手伝いをしているんだと。または自分が携わった家はずっと残るという意味では、まちを作っていることにもなる。芸術作品を作っていることにもなる。そうするとね、同じように釘一本打つにしても、違う目線から自分のしている仕事を見れるようになってくるんです。意識の持っていきかた次第なんですね。