他人の目や周りからの評価は気になってしまうもの。自分の人生は自分のものだと頭ではわかっていても、心の底からそう思うことは難しい。今年デビュー11周年を迎えたAqua Timezは、昨年武道館にて開催された10周年記念ツアーファイナルを成功させた。そこで、ボーカルである太志さんは「『決意の朝に』は “ブームだった”と言われたこともある」と話した。表舞台に立つミュージシャンが、自身の作品の流行や評価について話すというのはなかなかないことだ。今回は、流行や評価に左右されない生き方を探るべく、太志さんにお話を伺った。
太志(ふとし)
1980年岐阜県生まれ。Aqua Timezのボーカル。ほとんどの楽曲の作詞・作曲を手掛ける。ソロ活動も行っており、2014年には初となるソロツアー「Aqua Timez 太志 ひなたにユメを散らかしてTOUR 2014」を開催した。
Aqua Timez
2003年結成。太志(Vo)/OKP-STAR(Ba)/大介(Gt)/ mayuko(Key)、TASSHI(Dr)の5人編成。2003年の結成後10代を中心とした若いリスナーから支持され、2005年にミニアルバム『空いっぱいに奏でる祈り』でインディーズデビュー。収録曲『等身大のラブソング』は80万枚を超えるセールスを記録した。2006年4月、ミニアルバム『七色の落書き』でメジャーデビューし、今年2016年でデビュー11周年を迎え、12月14日には2年ぶりのオリジナルアルバム「アスナロウ」をリリース、2017年2月から全国ホールツアー「アスナロウ TOUR 2017」を行う。
オフィシャルHP:http://www.aquatimez.com/
オフィシャルYouTubeチャンネル:https://www.youtube.com/user/aquatimezSMEJ
――本日はよろしくお願いします。まず、デビュー11周年おめでとうございます。改めて11周年を迎えられていかがですか。
11周年を迎えたというより、12年目に入ったという気持ちの方が大きいです。何年もライブをやっていると、ファンの子たちが学生から大人になっていくのがわかるんですよね。「最近あの子来なくなったね」ってメンバーと話していたら、その子が「お母さんになりました」っていう手紙をくれたり。そういう、時間の重みを感じます。今度はその子が母親として、子どもを連れてライブに来てくれたら嬉しいですね。
――デビュー当時を振り返ってみていかがでしょうか?
デビューしてすぐに「一発屋」と言われたことがありました。でも今は「どう呼ばれてもいい」と考えています。もともと一発でも出せたらいいなと思っていたんです。僕がまだデビューを目指していたときに、母親に「一発出すのも大変なんだから」と言われていました。だから、そういう意味では一発でも出せたことはすごく嬉しいことだと感じています。
――最近は「一発屋」という言葉もあまり聞かなくなっているような気がします。
そうですね。今はもう「一発」という考え方自体がないというか、ヒット曲の境界線がないですよね。そういう時代が終わったからこそ自分で言えるんです。今はそれよりも、どれだけ精力的にライブをできるかが重要だと思っています。
――Aqua Timezの皆さんはワンマンライブを勢力的にしている印象がありましたが、今年はROCK IN JAPAN FESTIVALに初出場されていましたね。
ワンマンとフェスでは全然違うし、フェスに行くこと自体珍しいので気持ちとしてはアウェーでした。でも、自分たちがワンマンでやってきたことの積み重ねをやるだけだという確信があったので楽しめました。あと、47都道府県ツアーをやったこともすごく大きかったです。全国をまわってみて、ライブってこんなに構えずにやっていいんだと思いました。無理して沈黙を言葉で埋めつくそうとしていた時期もあったんですけど、静寂を楽しめるようになりました。だからロッキンもすごく楽しかったです。
――もし、紅白に出場される前にロッキンに出場されていたら心境は違っていましたか?
デビューシングルの『決意の朝に』で紅白に出てしまったので、当時はカメラの先に何千万人の人たちがいるという意味がよくわかっていなかったんです。そういう意味では、先にロッキンに出ているべきだったのかなと思いますね。
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