vol.20 ポップになっても良いじゃない。 ツイート

2015年4月26日

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それでもサブカルチャーしか受け入れられないっていう人、たくさんいますよね。サブカルチャーが好きで、サブカルチャーが好きな自分自身も好き、みたいな。



もちろんいる!でもそれはね、ネタバレをしてしまうと年齢特有のものなんだよ。特に高校とか大学の時って社会に出る一歩手前で、〈何者でもない自分〉というのをすごく自覚している時期。要は誰からも見てもらえてない自分というか、孤独な自分というものをビンビンに意識してしまってる時。だからこそ共感できる存在や作品に肩入れしてしまうのは仕方のないことなんだよね。例えばマイナーな漫画だったり、インディーズアーティストだったり。それってまるで自分を見ているようなんだもの。だからサブカルチャーを応援するというのは、つまりは自分を応援しているんだよね。大学卒業して社会人になったら「サブカルチャーなんてどうでもいっか」と自然に思うようになる人はたくさんいる。その代わり人付き合いのためにゴルフやりだしたり、上司との話が合わないから野球を観はじめたりとか。音楽だって二次会でカラオケに行った時にマイナーなアーティストの曲を歌って場がしらーっとしてしまうのを体験するのよ。会社に入って初めてね。その時に「ああーっ!サブカルチャーというのはこんなにも狭い感じだったのか!」というのが分かると思う。分かった時にそれでも好きなサブカルチャーはあるし、卒業するものもあるだろうね。後々社会に出て、サブカルチャーとメジャーなカルチャーというのが蚊帳の外から同じ土俵の上で見えてしまったときに、あーこういうのが僕は私は好きだったのだなあと思う時期が、いずれ誰しもにやってくる。でも別にそれはそれでよいのではないかと思う。若い方たちに「サブカルチャーなんて好きではダメ!」と言うつもりはない。好きで大いにけっこうだし、その時は実際に心が満たされるからさ。それは幸せなことだからいいと思う。うん、いいと思う。サブカルチャーっていうのはつねに若者の通り道として存在していて、自分が卒業しても次の世代がまた好きになっていくものだからね。つげ義春さんの漫画なんてみんなずーっと好きじゃない。もう40年くらい、若者が通る道になってる。つげ義春、寺山修二、「人間失格(太宰治)」、「ノルウェイの森(村上春樹)」などなど。もう何十年もサブカルチャーの作品としてあるわけでしょう。それはそれでいいんだよ。


中村様

サブカルは若者が通る道でもあるのですね。サブカルだからこそ好き、という人にウケなくなっても、中村さんは大衆化を目指されるのですよね。



そうそう、そこを目指して進んだら単純に商売にならないから、という事もある。クリエイターを目指している人の、とある作品がどうしてもサブカルチャーになってしまうのは仕方がないけれども、はなからサブカルを自称してやっていくと、ほとんどの人が食べていけないから。食っていくなら、やはりメジャー、いまダサいと思っているところを目指した方がいい。「自分はなぜその良さを理解することができないんだろう?」という自問自答も含めて。ダサいって要するにお金があるという事だから。みんなお金(人気)がある=成金主義=ダサいと言っているからね。でも、そんなことないよ。サブカルチャーと同じで、結果としてたまたまそれらは大衆文化になっただけで。じゃあそこで、あなたたちがどちらを選ぶかだよね。食っていくことを選ぶか、いつまでも若者に寄り添って行くことを選ぶのか。その分岐点というのが、大学卒業、就職活動の時期なのかなと思います。

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